岩崎邸見学について、話の続き
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11時の見学開始からすでに一時間半近くが経過。
ガイドツアーのメンバーはだんだんと減っていた。が、残った人人は熱心に耳を傾けている。洋館の説明と岩崎家の説明だけでもうこれだけの時間が経ってしまったが、小松はだんだんと和館の方の話をききたくなっていた。
現在の岩崎邸の顔はもちろん洋館。多くの観光客もそれを見にやってくる。
しかし、日本でホンモノの洋館を造る事はとても難しかったのだという事が、説明を聞いていてだんだん分かってきたからだ。
本来は石で造られる建物を全部木造で完成させたという事からして意地悪く言えば「よく出来たイミテーション」なのである。
いくらジョサイア・コンドルが優秀な建築家であっても、日本で手に入る材料でなんとかしなくてはいけなくなった場合、優秀な日本人の大工に相談したにちがいない。
そこへいくと和館のほうは「本場日本」で優秀な大工によって日本の伝統的な武家書院造として建てられたものだ。現場で働いていた労働者ももちろん日本人だった筈だし絶対のホンモノなのである。
さらに訪れる日本人ゲストも日本風の建築の良し悪しを見極める目を持った人人だっただろうから、こちらの方にこそ名人にお願いしなくてはいけない。
ガイドツアーの最後の十五分だったが、やっと和館の方へ入り、予想通りその建築の真価を聞くことができた。
節のない一本杉。京都北山から切り出された貴重な三本。節のまったくない木材である。
指摘されなければ絶対気づかなかった場所のひとつが、障子の桟の面取り。ただ斜め45度にしてあるのではなく、微妙に面取りがされていて、これを「猿頬面(さるぼうめん)」と呼ぶのだそうだ。
※下記に説明してあるサイトがありました。これは天井のものだけれど、同じ事を障子の桟にたいして施してあったわけです。
http://www.w-wallet.com/page820.htmlガイドツアーがいよいよ終わり、熱心に聞いていたメンバーも散会。シンプルで根本的な質問をガイドさんにぶつけてみた。
「こちら和館のほうを建築したのは誰だったんですか?」
「ああ、そうそう!それは大河喜十郎という名人だったそうですよ。江戸時代で名前が残っている大工はたった五人ほどしかいないそうですが、そのひとりなんですよ」