シュトットガルトを出て山がちな道に入ると、雪もどんどん強くなってきた。むかっているアルザスの街ストラスブールはライン川の上流、ドナウの源流である黒い森も近い。雪も深くなるわけだ。
バスのフロントグラスにも雪がまとわり、外もどこからが空か分からない、にぶい雪空である。
ドイツ領のバーデンバーデン・サービスエリアで休憩してから三十分ほど、いよいよライン川をわたりフランスへ入る。(写真上)
このライン川が国境だというのはフランスが主張してきた事だが、ドイツ側にとっては違う。ストラスブールの西を南北に走るボージュ山脈こそが国境たるべきだと主張してきた。
この主張の違いの結果、ライン川とボージュ山脈の間にあるアルザス地方はめまぐるしくその帰属を変えてきたわけだ。
ほんの十年ほど前でも、ドイツ・マルクからフランス・フランへ両替して、検問を通っていたのに、今はその建物さえもなくなってしまった。
ドイツとフランス、ヨーロッパの中央でべったりと国境をくっつけた二国。この二国が第二次大戦後に二度と戦火を交えまいと誓ったところから、ヨーロッパ統合ははじまっていると思う。アデナウワー首相とド・ゴール大統領の時代に蒔かれた種は、今、実りの季節をむかえている。
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ストラスブールの町の中心、グーテンベルグ広場に見慣れない現代アートのようなものがあった。(写真中)
近寄ってよく見ると、それはサハロフ賞を記念したモニュメントであった。
水爆の父、旧ソ連の物理学者にして人権運動家だったアンドレイ・サハロフ氏を記念して、欧州議会がサハロフ賞を設立したのは1988年だそうだ。
第一回の受賞者は南アフリカのネルソン・マンデラ。1989年はチェコスロバキアのアレクサンドル・ドブチェク(プラハの春の立役者にして、失脚からの二十年を生き延びて自由になったチェコスロバキアを見た人物)。1990年はミャンマーのアウン・サン・スーチー。
このアルザスという場所だからこそ、人権の為に身を挺した彼らの価値がよく分かる。日本のような「人権は守られて当然」という国に居て新聞で読んでいるだけで、こういった人人の存在の価値をどこまで感じられるだろうか。