午前中、ピサへの観光。
午後はフィレンツェ市内自由行動。
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フィレンツェからのピサの半日観光では、斜塔のある「奇跡の広場」に滞在できる時間は長くて一時間半程度である。
鐘楼の塔が傾いた経緯や大聖堂の建設過程、洗礼堂のエコーなどを案内すれば、それで時間いっぱいとなる。
その短いルーティン・ワークのガイドをしている程度の時間では、何回もピサの斜塔を案内している我々が目新しいと思えるようなことは、通常あまり見つけられなくなってくる。
いや、「見つけられない」と思うようになった人には「何も見えてこない」のだ。
今回、何回かご一緒しているローカルガイドさんとお話していて新たな発見をさせてもらった。
それが、このヘブライ語の墓石。
奇跡の広場を囲っている石造りの塀は、旧ピサ旧市街の壁の位置になる。その一番下の部分に、こんなヘブライ語の墓碑がいくつも埋め込まれているなんて…何度もこの道を歩いていたのに知らなかった。
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11世紀、12世紀に繁栄の絶頂を迎えていた中世のピサは、地中海の広域を領土にする海洋大国であった。
マヨルカ島、シチリア島なども制海権に組み込み、イスラム教徒たちが支配する北アフリカとも商売の強い絆を持っていた。
ピサ本国はイスラム教徒やユダヤ教徒のコミュニティも存在し、いろいろな民族が混じり暮らすコスモポリタンな町であったのだそうだ。
ピサはユダヤ人を隔離するゲットーはつくらなかったが、墓地はキリスト教徒とは当然別。それは城壁のすぐ外側に位置したと伝えられている。
19世紀になり、この奇跡の広場一帯も整備され、ヘブライ人(ユダヤ人)墓地も新しくつくられた。 しかし、そのすぐ近くの壁石の中にこういう古いユダヤ人の墓石が埋め込まれているのは…いったいどういう経緯なのだろう。