高知城天守閣が見える場所にあるホテルより出発。
午後二時半の飛行機に乗るまで市内をもう少し回ろう。
レトロな路面電車で高知駅前の「土佐・龍馬、であい博」のメイン会場へ。
http://ryoma-deaihaku.jp/大河ドラマを軸にしての展示で、誰でも楽しめる内容である。きのう訪れた歴史民族博物館との違いがはっきりしているのが良い。
古い事物や書き物を展示してそれにまつわる面倒くさい解説があったりするのは、小松のような輩には良いだろうが、万人ウケはしないだろうから。
どうでもよい事だが、会場で売っていたゆずドリンクは、JALの機内で出されるスカイタイムとそっくりだった。
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10時半少し前に高知城の前に到着。
石垣の前でボランティアガイドの方から声がかかり、説明ていただきながら見学する事ができた。これがたいへん有意義だった。
目の前にあった板垣退助の像について。
「板垣の銅像は全国で三体あるのですが、そのひとつです。出身地のここ高知と、暗殺未遂事件で『板垣死すとも・・・』の逸話で有名な岐阜、それと日光です」
え?日光?
ちょうど明日行く予定になっていたので、特に反応した小松。
「戊辰戦争の時大鳥圭介が東照宮に立てこもったのを、板垣が説得して退去させたんです。それで東照宮は戦火に遭わずにすんだので、東照宮を守った恩人なのです」
なぁるほど、明日行ったらさっそく探してみよう。
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迫力ある石垣が続く。
「よくこれだけ残りましたね」と言いたくなったが、実はほんの数年前にやっと改修工事が終わったとの事。積み上げ組み上げられた石を丹念にはずし、老朽化しているものはそれと全く同じ石をつくってはめ込んだそうだ。
よく見ると、はっきり色の違う石がたくさん石垣の中に見つかる。なるほど、かなり苦労しての作業だったのですな。
説明を受けていると、石垣の上にかつてあったたくさんの建物がだんだん目に浮かんできた。
いちばん大きな三の丸では、家臣が勢ぞろいしていろいろな式典が行われたそうだ。 今は桜がたくさん植えられ、花見の場所になっている。
その桜のうちの一本に黄色い布が吊るされていたが、それは「開花宣言」の標準に使われる木なのだそうだ。
さらに一段あがり、二の丸。
ここは高知市内を見渡す事が出来る立地で、かつて主君の生活する場所として使われていた。 建物はここでも跡形もないが、一角の小さな池と築山だけは当時のものだという。
山内容堂も灘の酒を飲みながらこの庭を眺めていたのだろうか。
天守閣の間近に立つと、下から見上げたような威容ではけっしてない。しかし、充分美しい。
三階建てに見えるが、実際は六階構造になっている。
急な階段を登って最上階へ出ると、涼しい風が吹き抜けてゆく。
西の方角の丘のひとつが、きのう行った歴史民族博物館のある城跡だと分かった。堀はもともとの川の流れを上手に利用している。
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「こうち」とはもともと「河内」と書かれていた。
文字どうり、二つの川の流れに挟まれた場所だったからである。
中州にある山は、城をつくるには良かったが、ここを町にするにはたいへんな治水工事が必用だったのである。
町が完成し、高僧が「高智」と命名。
酒飲みの高知の人が「早く日が暮れて好きな酒が飲めるように」と、智の字の下の日を無くしたのだとか(笑)。