サン・モリッツを出てベルニナ線のイタリア側終点駅、ティラーノへ宿泊の日。
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当初の予定では、今日ループ橋を見学してからティラーノへ移動する予定だった。しかし、スーツケースを持った移動というのはたいへんたいへんたいへんむずかしい。
★列車にはたいていの場合スーツケースをたくさん積み込めるスペースというものがない。スペイン新幹線AVAやTGVの一部でスーツケースを載せられる専用車両があるのは異例なのである。
今日利用するベルニナ線は、「ベルニナ特急」といえどもそんな専用スペースはない。苦労して積み込んでさらに狭い場所に積み上げるのは乗客自身の仕事だ。
スーツケースを持ってベルニナ線の普通列車に乗り、途中下車下駅にスーツケースを預かってもらい、橋を見に行って駅に戻りまた電車に乗るという行程を最初に考えた。 しかし、しらべていくとブルジオ駅は無人駅でスーツケースを預かってくれる場所も人もいない。
少し大きな手前駅ポスキアーボなら預かってもらえるというので、そこで一度下車して荷物を預け、次の列車でブルジオへ行き、ループ橋を見学したから逆の列車でポスキアーボへ戻り荷物を受け取り、ふたたびティラーノ行きの列車に乗る…日本出発時の予定はこうだった。
しかし、これではあまりに効率が悪すぎる。
日本を出発してからもずっと解決策を考えつづけていた。
そして数日前に決断。
ループ橋見学をサンモリッツ滞在の中日(つまりきのう)にもってくることにした。
ループ橋はベルニナ線のほとんどイタリア国境ちかくにあるので、我々は今回三度ベルニナ線のほぼ全線に乗ることになってしまうが、その方がスーツケースを途中駅で預けるよりずっとましだと判断した。
さらに、翌日(つまり今日)サンモリッツ発の「ベルニナ特急」で途中下車せずにティラーノまで行く事が出来る。 15:22の「ベルニナ特急」の座席を予約出来、サンモリッツも午後三時までゆっくり時間をとれることになった今日なのである。
もっと早く決定出来たらスーツケース移動の心配などしなくてすんだのに…はい、分かってしまえばその通り。だれも造った事のない行程をつくるのはこういうものなのです。
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今朝も良いお天気で、午前中サンモリッツを見下ろすピッツネイル展望台へ上がった。ケーブルカーとゴンドラで三十分ほど。標高約三千メートル、すずしい風が吹き、眼下にサンモリッツ湖やその周辺の谷が見渡せる。
11時ごろサンモリッツ・ドルフ地区へ降りてきて、そのままバート地区へ歩いていく。月曜だがエンガディン郷土博物館が開館していたので覗いていく。スグラフィート文様で飾られた1905年の雰囲気ある建物の中は、15世紀頃からのエンガディン地方のものがたくさん収められている。特に、部屋そのものをたくさん移築しているので部屋に入るごとに違った時代の雰囲気が感じられておもしろい。
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昼食はバート地区入り口にある大きなコープで買い物。
はじめ出来あいのサンドイッチを買うつもりだったがあまりおいしそうに見えない。日本のコンビニで売られているものの様な繊細さは全然ない。パンに具を挟んで長時間だからぼそぼそした感じになっているし…。
結局具とパンを別々に買って自分たちでそれを挟み込む事にした。具にするハムや野菜、そしてパンもそれぞれはとてもおいしいものが売られているのだからこの方がおいしいサンドイッチになる。
これらのものを持って湖畔へ出て芝生に座って「いただきます」。ぽかぽかした陽射しとのんびりした気持ちの良い風。湖畔の楽しいピクニックタイム。
朝、別行動で湖畔のサイクリングへ出かけた方三人もきっと楽しんでおられる事だろう。
バート地区からドルフ地区への帰路はエンガディンパス(サンモリッツのある程度以上のクラスのホテルに宿泊すると貸与してくれるこの地域の交通機関無料パス)を使い、バスでいっきに戻る。
午後二時、こういう時間帯は通常ツアーグループは忙しく動き回っているものだから、クラシックなホテルのロビーは人も少ない。しばしゆっくり。
午後三時、サンモリッツ駅へ移動しベルニナ特急乗車。※この時指定席の事でドイツ人グループとてんやわんやあったけれど、それはまた別の機会に。
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17時半、イタリア領ティラーノに到着。
いっきに暑くなる。
ここは標高約400m。サンモリッツは約1800m。千四百メートルも低くなれば暑くもなろう。
駅を降りて目の前のホテルにチェックイン。
ロビーにはいってすぐに目に付いたのはたくさん飾られた個性的な絵である。しばらく見ていてはっとした。そのうちの一枚に確実に見覚えがある。数年前にたしかローザンヌの美術館でのことだった⇒★これについてはまた別に書きます。
夕食はホテルのダイニングにて。
ティラーノの町へ出ても良かったが、この駅前ホテルはそれなりに歴史あるよさそうな雰囲気があった。
何種類かの前菜おとりわけスタイルと、ピッツァを注文。「サンモリッツのもおいかったけれど、こちらの方がもっとおいしい」という感想。やっぱりイタリアへ入ると違うのかもしれません。
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夕食後、ティラーノの町を散策。
山間の小さな町だが、しらべてみると15世紀末にミラノの領主ルドヴィコ・イル・モーロが建設させた城壁があるようだ。
スイスの南東部を占めるグラウビュンデン州(フランス語でグリゾン、イタリア語でイ・グリジニオ)は、当時の三つの地域同盟が統合して出来た。
スイス傭兵というのは強いので有名だったし、実際ミラノまでも支配下に入れた事があったほど。だから、イル・モーロとしても、彼らの出入り口であるティラーノの町の防衛を固めなくてはならなかったのだろう。
簡単な地図を見ても確かに城壁のあった跡が見える。
さらに、メンバーのお一人が、「サリス宮殿」の英語版案内を見つけてくれた。※この夕暮れの写真の建物です。正面玄関となるのは左手のライトアップされた部分。手前は16世紀の分厚い壁。
サリスというファミリーについてはじめて知った。
コモからスイス南方に勢力を持った中世以来の歴史ある貴族だそうで、一説にはエトルリア貴族に起源をもつとか?!ほんとかい?
ヨーロッパの長い歴史の中でいろいろな縁戚を持って、現在でも続いている。分家もいくつも存在し、当然いろいろな城や宮殿も所有する。
ハプスブルグ最後の皇帝の妻ツィータ妃が1959年以降にマデイラ島から大陸へ戻った際、住む事になった宮殿はサリス家が東スイスに持っていたものを提供したそうである。
我々が外見だけ見たこのティラーノの宮殿にもいろいろな人が滞在しているようで、ガリバルディが訪れた旨のプレートが掲げられていた。