終日イスタンブルの市内をめぐる一日。
ホテルから近いドルマバフチェ宮殿を見学。
小松が見ていただきたかったのはハレムである。
※トルコの宮廷はかつて女性の場所(ハレム)と男性の場所(セラム)に分かれていた。これは一般の大きな家でも普通に分かれていた事で、ハレムがとりたててスルタン寵愛の女性たちの場所をさすわけではない。
かの国父アタチュルクさんは最後この宮殿のハレムの一室で執務し、そこで亡くなった。今でもそのベッドはトルコ国旗に覆われて置かれている。
二年前にはハレムとセラムは別々の入場券だったが、今は同じチケットで同じ訪問コースになっていた。
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午前中二つ目の場所はリュステム・パシャ・モスク。
ここも建築家シナンの作品で、タイル装飾が美しく、エディルネのセリミエモスクに通じる空間をもっている。
エジプシャン・バザール近くのごちゃごちゃした商店街にある小さな階段を上がっていくとその場所へたどり着く。
http://komatsusin.hopto.org/koma/modules/iDiary/index.php?mode=show&date=20080528***
昼食は先のモスクから歩いてすぐのハムディという老舗レストラン。ここははじめて入ったが、眺めと食事の両方で来る価値があった。
メインのメニューはウルファ・ケバブ。
初日のイスタンブルでブルーモスク近くの人気店で食べたものに近い味わい。やはりこれが大好きです。
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午後いちばんにはスレイマニエ・モスクへ。
ここも建築家シナンの代表作にあげられるものだが、今は長い修復期間に入っている。
ドームを見上げる事は出来ないが、ここにはスレイマン大帝、ロクセラーナ、そしてシナン自身の墓があるのだから、今回の旅でははずせない場所といえるだろう。
http://komatsusin.hopto.org/koma/modules/iDiary/index.php?mode=show&date=20080529スレイマニエ・モスクのすぐ近くにオスマン文書の図書館があるというのは、今回のガイドさんに教えてもらってはじめて知った。
「それじゃ、あのシナンが残したという手紙もここにあるのかな?」と、今回の参加者全員のアタマによぎった。
「きいてみましょか」
と受付に申し出て出てきた彼は人のよさそうな警備員さんだ。
※この写真の方です。
日本で一介の観光客が突然専門図書館にやってきてそんな質問をしたら、「そんな事、私は分かりません、正式な窓口をとおしてご質問下さい」と一蹴されて文句は言えない。
しかし、彼は申し訳なさそうに「今、スタッフは昼食に出てるんです」「二時半ぐらいには戻るでしょう」と答えた。
今から四十五分以上もあるから、普通のツアーだったらとてももう一度は来られないだろうが、今回、こだわりのメンバーはもう一度くる事を選ぶ(笑)。
上記の面々の墓参りをして、近くの店で買い物をして、午後二時半をすぎて再び図書館の戸を叩いた。
「偉い人がかえってきてます」という言葉に、我々の期待がふくらむ。
もしや、ここにあのシナンが残した手紙があるのではないか?
あの手紙の事はJALの機内誌で読んで知ったが、その他いろいろなサイトでも言及されており、トルコでもその発見が話題になった。
しかし、どこにもその写真は公開されていない(小松が調べられた範囲の事ですが)。
ほんとうにその存在があるとしたら、写真ぐらいは公開されていても良いのではないか?
実はあの話は作り事なのではないか?
※「あの話」は下記で一部をお読みいただけます。
http://komatsusin.hopto.org/koma/modules/iDiary/index.php?mode=show&date=20100513しばし待ってガイドさんが戻ってきた。
「やっぱりありませ。『その話は聞いた事があるけれど、どこにあるか知りません』という返事でした」
ううん、これからも探し続けてみまする。