朝4時半のホテルを出発して気球に乗りに行く。
はじめ風があって心配していたが、結局飛ぶ事ができて幸いである。これだけは、どんなに好天に見えても飛ぶまで安心できませぬ。
8時半、ホテルに戻り朝食。
9時15分に再び出発。
ギョレメ野外博物館や地下都市など定番の場所をまわるが、今日いちばん面白かったのは、昼食の後で寄った昔ながらの岩をくりぬいた家だった。博物館などでなく、ガイドさんの知り合いのご家族なので入場料などは必用ない。 これも少人数だから出来るご自宅訪問である。
四十歳代とおぼしきご夫婦とまだ小学校低学年ぐらいの男の子が迎えてくれた。
日本の家のように靴を脱いで入るとすぐに台所。岩をくりぬいた戸棚や食器棚。きちんと片付いている。
その奥が広いリビングルームになっていて、我々十三人が楽に座れる広さがある。
真ん中に薪やコークスを燃やすストーブがあり、煙突は屋外へとつながっている。カッパドキアは五月でも雪が降るような場所だから、冬の寒さ対策は重要だろう。
屋内写真右にはけっこう大きな画面のテレビが見えるだろうか。電気もしっかり通っていて、かなり快適な住まいだと見えた。
我々は一階部分だけお邪魔したが、全部で三階建てになっているということで、寝室などは上階にある。
岩の床の上全面にたくさんの絨毯がひかれている。この様子をみるとトルコ人の生活にとって絨毯がどれほど重要なものか自然に理解できるだろう。
カッパドキア地方の主婦なら絨毯を織ることが出来ないといけないのだそうで、ここの家にも小さな織り機が置かれていた。
この家で手造りしたというレース編みや小物は、日本から来た奥様たちに大人気だった。
唯一、不便なのはトイレ。
これだけは家の外につくられている。
なるほど、そうでしょうね。
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夜、ホテルでバーベキューを用意してくれる手筈になっている。
18時頃、我々がホテルに戻るとちょうど女性たちが肉をこねたり野菜を切ったり準備をしてくれている。
服が紫色の揃いだから従業員かと思ったら、なんと三姉妹なのだそうだ。真ん中の奥さんがオーナーの奥さんで、家族で新しく洞窟ホテルの経営をはじめたそうだ。
こういう民宿みたいな宿は、日本でも食事がおいしいが、実にそのとおりであった。
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夕食の時、トルコ建国の父アタチュルクさんの話になった。
現在のトルコではアタチュルクさんが苦闘して導入した「政教分離」が揺らいでいるように見える。
政権をとっているイスラム系の政党が女性にスカーフの着用をさせるように指導しているのだ。
ガイドのジャネルさんはアタチュルク大好きの人で、この状況を憂慮している。アタチュルクが創設した政治政党にも参加しているのだそうだ。
「それじゃ、トルコじんなら誰でもしってるチャナッカレの歌うたいましょう」と、哀愁あるメロディをひとりでうたいはじめた。
チャナッカレは第一次大戦の激戦地。
地中海からマルマラ海へ入るダーダネルス海峡の町。
アタチュルクが指揮するトルコ軍は、海相チャーチルが指導する英国海軍をここで最後まで食い止め、戦艦にイスタンブールを砲撃させなかった。
アタチュルクは将校でありながら、最前線に身をおき、この功績によってパシャ(将軍)になったのである。
今でもトルコ中の学生がこの激戦を記憶すべくこの町を訪れる。
小松も2005年はじめての《手造の旅》トルコで訪れた。
チャナッカレ、ガリポリ、・・・このあたりへの小松のこだわりは下記の日記にて。
http://komatsusin.hopto.org/koma/modules/iDiary/index.php?mode=show&date=20050130http://komatsusin.hopto.org/koma/modules/iDiary/index.php?mode=show&date=20050502