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『発見された手紙』再録
2010-05-13
明日から念願の《手造の旅》トルコ、第四回の出発である。
今回も今までと全く違うトルコを盛り込んでいる。ギリシャとブルガリアの国境にちかいエディルネという町を訪れるのは、ひとえに建築家ミマル・シナンの最高傑作とされるセリミエ・モスクがあるからだ。

この旅のひとつのきっかけになった2007年JALの機内誌に掲載された文章を一部下記に引用しておきます。

**

『発見された手紙』

1990年代、イスタンブールで16世紀に建造されたあるモスクの修復プロジェクトが立ち上げられた。このプロジェクトの最も難しい点は、もろくなってしまった石のアーチを修復することだった。


プロジェクトチームは熟考した末、木の枠組みを使い構造を修復することに決めた。ローマ帝国がかつて使用していた手法とほぼ同じであろうと考えたからだ。作業に取り掛かりアーチの下に木の枠組みを設置し、アーチを支えている重要な石である「キーストン」を除去しようとしたその時、彼らは驚くべきもの、そこにあるべきではないものを見つけた。


それはガラス管だった。ガラス管の中には何枚かの用紙が入っていた。専門家が呼ばれ、その用紙はオスマン語で書かれた手紙であることが判明した。 400年前に書かれた一通の手紙がその日意外なかた
ちで届けられたのだ。翻訳された手紙の内容はこうだった。


「我々が建造したこの建築物の石は、400年が寿命である。400年後石のアーチ部分は傷んで脆くなりあなた方はそこを作り直そうとするだろう。その時おそらく建築の技術は我々の時代より大きく進化しており、それゆえにあなた方は石のアーチを作り直す経験を持っていないだろう。だから私はこの手紙を書いている。 おそらく、あなた方は石のアーチ部分の重要な石
「キーストン」の下に木の枠組みを設置し、その後「キーストン」を除去しようとするだろう。そのプロセスに取り掛かることは、この建築物にとって大変重要な意味を持っている「キーストン」について学び始めることを意味している。」


このあと手紙はキーストンの役割やさらにその後400年維持するために、建築当初と同じ東アナトリア産の石を使うことなどを指示していた。また手紙には図面と工法の資料が添えられており、”同封の資料で、あなた方はこの石の建築物のすべてを学ぶことができるだろう”と締めくくられていた。


この手紙は、ル・コルビュジュとフランク・ロイド・ライトが歴史上最も尊敬した建築家といわれる「ヒリスト」という人物により書かれていた。 実は、このヒリストという人物は、1538年から1588
年の50年間、オスマントルコ帝国のスルタン(君主)のために、実に多くの建築物を遺した建築家ミマール・シナンに他ならない。

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