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人喰い狼とフランチェスコ
2010-04-23
アッシジ⇒ピエンツァ⇒シエナ観光・旧市街泊
**
アッシジの朝は雨になった。
季節が戻って、きのうとは全く違う町の色。
雨にぬれたスバシオ山の石も美しいけれど。

バスに乗り、最初はピエンツァをめざす。
ここは近年世界遺産に指定されてからぐっと観光客が増えた。

ピオ二世がこの町の出身だったということで、名前を「ピオの町=ピエンツァ」と変え、都市計画をつくらせて新しい町を建設したのである。

15世紀半ばにはとても新しい考え方で、法王が途中で死去しなければもっと大規模な町が出現していただろう。まぁ、今ぐらいのサイズの方がまわりやすいけれど。

この町はオルチャ渓谷とよばれる丘陵地帯の只中にあり、町の一方も崖になっていて、だんだんと削られて後退している。
あろうことか、大聖堂はその削られている場所に建てられているので、後陣は落ちかかって床にはひびさえ入っているのがわかる。今すぐには落ちないだろうけれど、なかなか恐ろしい。

市が計画都市になる以前からあっただろうフランチェスコ派のロマネスクの教会へ入る。光のあまり届かない堂内はフランチェスコにからむフレスコ画で飾られている。

その中でこの写真のものがほほえましい表現だった。これは「グッビオ村に出る人喰い狼をフランチェスコが説得して、これからは市が公費で提供する餌を食べて、人は襲わないことを誓わせた」という逸話なのだが、かわいい狼ちゃんがフランチェスコにお手をしているのです。

まわりの人々は胸に手をあてて「よかったよかった」という雰囲気、狼は耳をうしろに寝かせて、フランチェスコにおなかでも見せそうな様子。

**
13時前にはシエナに到着し、今日宿泊するNHエクセルシオールに荷物を置く。旧市街にありとても便利なのでここを選んだ。

昼食はセルフサービスの店でごく軽く済ませていただく。なぜなら、今晩がっつり食べる予定にしているので。昼夜スリーコースを食べるなんて無理ですもん。

14時、ホテルから徒歩でシエナの観光へ出発。

今回是非見ていただきたかったのは大聖堂博物館にあるドゥッチョ・ディ・ボニンセーニャ作の「マエスタ=荘厳の聖母」。ジョットと同時代のこの作品は、ジョット的なルネサンスのさきがけとはほど遠く、中世的・ビザンチン的なスタイルである。

こういった作品は写真で見ていては全く良さが伝わってこない。ひとつは大きさ、そして質感。ジョットのように構図や遠近法という種類のものは写真に撮影できるが、絵画の本質的な部分は、実は写真では絶対撮影できないと・・・この「マエスタ=荘厳の聖母」を見ると実感するのではないか。

ドゥッチョのすばらしい聖母の肌の感じは、フジタの描く乳白色の肌のようだと感じる。


大聖堂に入場する。
ここが入場無料だったときには床に描かれた石の絵画は多くがカバーされて全部見られることは少なかった。
それが、高い合同入場料をとるようになり(大聖堂だけの販売はなく、スカラ病院と洗礼堂、博物館と込み)床全体が公開されているのは良いことなのでしょか?
日本の忙しいグループは大聖堂にちょっと入るぐらいの時間しかないから、最近は「大聖堂の入場は含まれません」となる傾向がある。

この大聖堂の図書室にあるピントリッキオのフレスコ画「ピオ2世の生涯」もすばらしいものなので、是非見ていただきたい。

***
ホテルに帰り夕食まで二時間休憩。
雨の日はおなじ行程をいってもけっこうつかれる。

夕食にはこれまでも《手造》などの機会で利用したことのある店。
シエナ豚とここでも新鮮なアスパラ!をいただきました。



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