アッシジ連泊の中日。
忙しいツアーではサン・フランチェスコ大聖堂とキアラ教会をまわってもう時間が来てしまうが、今回はアッシジの魅力をしっかり理解していただけるに違いない。
この町をゆっくり歩いたのは十五年以上前になるだろう。思えばその頃はぼおっと歩いていたなぁ。今日は地元の詳しいガイドさんにもしっかり実力を発揮していただこう。
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コムーネ広場に隣接するディ・プリオリホテルを出て坂を少し登ると聖ルフィーノ司教座教会に至る。
★聖ルフィーノ教会
聖ルフィーノは三世紀にアッシジにキリスト教をもたらした初代司教にして殉教者である。
教会のある場所はもともとローマのフォロか駐屯基地があった場所で、現在でも壁に埋め込まれたローマ時代の石がそこここにある。
最初の教会が5世紀にはあったとされるが、それははっきり確認できる遺構が残っていない。木造だった可能性もある。
1028年にロマネスク様式で建てかえられた建物の基礎は、現在床下にガラス張りで見ることが出来る。
この時代に建設された鐘楼はローマの貯水槽を基礎としており、今も地下水層がある。
1138年、ある奇跡が起きたのをきっかけに現在の建物への立替がきまり、建設がはじまる。 教会前の広場を大きくする為に全体に大きく後退させられ、現在見られるファサードが建設されていった。
ただ。貯水槽の上にちょうど建てられている鐘楼は移動させられなかったのでこれだけはひとつ前の建物と同じ位置となっている。
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ロッカ・マジョーレ城砦への道を上がるが途中で横にそれ、★ローマ時代の円形劇場の跡を訪ねてみる。
地図上からもはっきりとその跡が分かるこの場所に来てみると、ちょうど競技場のかたち=楕円形に家が並んでいる。こういう構造は他の場所でも往々にしてみることが出来るが、やはり毎回古代ローマの構造物の強固さに畏敬をおぼえる。
このあたりは半世紀ほど前までアッシジで最も貧しい地域だったとの事。「だから古いアッシジを良く留めている地区で、歩く価値がある」とルイジさん語る。
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★サンタ・キアラ教会
イタリアの修学旅行生をはじめ団体でごったがえす。
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★フランチェスコの生まれた元馬小屋・現教会
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★フランチェスコの両親の家・現教会
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★ベルナルド・ダ・クインタヴァッレの家
かなり昔のままと思われる。
彼が誰だかはまた別の機会に書きます。
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★サンタ・マリア・マッジョーレ
かつて、フランチェスコが生きていた時代にはここが司教座教会であった。フランチェスコも、キアラも、フェデリコ王も洗礼をうけた洗礼盤は今は聖ルフィーノ大聖堂に移された。
アッシジのルーツを見たければ、ここははずせない教会だと思うのだが、グループはおろか個人観光客もほとんど訪れない。
現在の教会の前に8世紀の教会があった、さらにその前にはローマ時代のアポロ神殿があった。
そういう知識があっても、それを実際に見ることが出来るとは思っていなかった。※それがこの写真
例によって教会の隅にある細い階段を下りていくと、突然列柱があらわれる。
そして、さらにその下に(写真で下へさらに降りる入り口がわかるでしょうか)、ローマ時代の床が残されている。色大理石で飾られた現代と変わらない洗練されたデザインの先に、教会の床下へのびている暗闇の通路があった。
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★フランチェスコ大聖堂へいよいよ近づく。
下の聖堂からはじめて、上の聖堂まで一時間はたっぷりかかる。
ここでは時間省略の為英語ガイドさんのお話を割愛して小松がお話させていただく様にもしました。
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13:40 遅い昼食へ到着
今日も天気が良いので屋外の席をつくってもらう。
さわやかな白ワインがおいしい。
ブルスケッタ五種、ピチといううどんのようなパスタ、肉の細切りをチーズで巻いて卵でまわりを焼いたもの。
今日は昼をしっかり食べて夜は軽く済ませる日。
午後三時過ぎにホテルへもどり、夕方まで休憩もしくは自由行動。
18:30、少し日が傾いたので皆さんとロッカ・マジョーレまで登る。
さわやかな風が吹き、眼下にアッシジの旧市街を見晴らす散歩はとても気持ちが良い。
そのままフランチェスコ大聖堂近くまで行き、お茶休憩。
昼食を遅めにしてたっぷりだったので、これで今日は充分。
★サン・ピエトロ聖堂がライトアップするのを見てから坂を上ってコムーネ広場へ。二千年間かわらずにこの広場に立ち続ける神殿の列柱が今日もライトアップしていた。