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スポレートの「塔の橋」
2010-04-21
午前、オルビエートの街を徒歩でまわる。午後トーディで簡単に昼食、スポレートを見学し、アッシジ泊の一日。

**
オルビエートの街へは以前から泊まってみたかった。
きのう初めて見た夕陽に染まるあの大聖堂のファサードはちょっと忘れがたい美しさだった。

今朝はライセンスを持つガイドさんに来てもらって、終日ウンブリアの町を見学する予定。

アッシジも大聖堂だけでなく街を少しは知ることが出来た。

***
12:35トーディの駐車場へ到着。山の上の街へケーブルカーを使って登る。

地図で見るとひしゃげた三角をしているのは、この町が丘の上の狭い土地をつないで作られているから。
当然、どこへいくにも坂が多い。

サン・フォルトゥナート教会もじぐざぐの階段の上に未完のファサードをみせていた。
午後1時となり、教会も昼休みの時間。ドアを閉めにでてきたところを「五分だけ!」と押し留めて中へ入る。

内部はゴシックの簡素なつくりで、天井も新しく修復されている。それでも内部へ入ったのは、奥の地下にこのトーディの世界に有名な人物の墓があるからだ。

ヤコポーネ・ダ・トーディは13世紀の修道士。十字架上のキリスト見る聖母マリアの悲しみを詠った詩「スタバト・マーテル・ドロローサ」の作者とされる。
※この詩、日本語で読んでみたがそれほど素晴らしいと思えなかった。しかし、イタリア語の韻を踏んだ言葉で語られるのを聴くと、(ことばがわからなくても)これが全く違うイメージでかんじられる。やはり詩というのは翻訳できないものである。

教会を出て我々も昼食。
時間ももったいないので簡単なカフェのピッツァとする。
席について食べ始める頃に、イタリアの修学旅行生三十人ぐらいがどどどっと入ってきてカウンターは大騒ぎとなった。

ささっと食べて丘の頂上の広場を目指す。
ガリバルディ広場からは緑の丘がうねっていく風景が美しい。

簡素なファサードにバラ窓が美しい大聖堂のファサード。イタリアでも屈指の古い市庁舎が、長細いコムーネ広場を囲む。エトルリア、ローマ、中世と三つの壁が囲むトーディの町の中心はいつでもここだった。まだまだ掘り出されていないものがたくさんあるのだろう。

14:10ふたたびケーブルカーで下の駐車場へ。
「世界で一番住みやすい」かどうかを実感するほどの時間はなかったが、雰囲気の良い町であった。坂は多くても、住みやすさにはあまり影響しないらしい(笑)

****
15:00 スポレートの町が見えてくる。
まずは山の上にそびえる中世の城砦。ここはなんと、しばらく前までは監獄に使われていたのだそうだ。 町いちばんの印象的な風景の頂上に監獄があるのは観光都市としてはちょっとイメージが悪い。今はやっと博物館になっている。

この城砦をはさんで町と逆側の谷にかけられているのが、この写真の水道橋。実に印象的な構造物で、今日の行程にスポレートを入れたひとつの理由である。

我々の小型バスは、谷を挟んで町と逆の場所に立つ塔近くまで入っていく事ができた。※この写真で遠くに見えている塔です


古代ローマの水道橋があった場所に13世紀建設されたとされる。古代の基礎も使われていると言われるが、どこまでがローマのものなのかはよく分かっていない。

橋は長さ230メートル、高さ82メートル。
ここを渡るのはなかなか楽しい体験だった。

旧市街へ入っていくと、この町も坂が多く、道は入り組んでいる。
突然視界がひらけて、長くゆるい下り坂の奥にロマネスクの大聖堂が建っていた。

傍らの塔が修復中なのは少し残念だが、小さなバラ窓がいくつも配置されたファサードは金色のビザンチン風のモザイクが輝いている。

内部へ入るとまずコズマ様式の幾何学的な床模様に目が留まる。これはオリジナルを多く残されている部分になる。

正面祭壇の壁を飾るのはフィリッポ・リッピのフレスコ画。
彼の作品はウフィッツィ美術館でカンバスに描かれたものをいくつも知っているが、これだけ大きなフレスコ画ははじめて見た。

大きさよりもその筆致がとても美しく、プラートのものと並んで彼の生涯の代表作とされるのも理解できた。

絵の中には最晩年の自分自身も描きこまれている。
これを描いた後、リッピはこの町で死んでしまった。墓もこの大聖堂にあり、息子のフィリッピーノが墓碑を製作している。

*****
スポレートの町もまたローマの遺跡がそこここに見られる。

いちばん強烈だったのは、旧市街の通りに堂々と建つ紀元一世紀のドゥルーススの門。第二代皇帝ティベリウスの息子にささげられたものだそうだが、最盛期ローマの重量感ある門は周囲の中世の建物を凌駕する存在感であった。

さらに驚いたのは、この門に隣接する教会の地下。
地元ガイドさんが祭壇横の暗い階段を手探りで下りて行くのでついてゆくと、暗闇にたくさんの柱が立っているのが分かった。カメラのフラッシュで見えてくるのは間違いなく古代の柱だ。
壁には中世のフレスコも描かれているようだ。

突然、地下室に電灯が灯る。
ガイドさんがスイッチを見つけたのだ。

そこは四本の中央柱とアーチ天井に支えられた半地下の礼拝堂であった。古代ローマの構造を出来るだけ利用して、中世に使われていたものだとすぐに理解できる。
こんなものが・・・ひっそりと地下にあり続けている。いや、きっと他にもいくつものこういう場所があるのだろう。

*****
17:15 
アッシジの旧市街外にあるサンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会到着。

この大きな教会は、かつて屋外に建っていた小さな礼拝堂をそのままかぶせてつくられている。トランジト礼拝堂はフランチェスコが亡くなった場所として知られているし、もうひとつのポルツィウィンクラ礼拝堂は、フランチェスコが親の家を出て活動を始めた頃、神の声を聞き、ベネディクト派から譲り受けて自分の活動拠点とした場所だ。

アッシジの観光としては必ず行くべき場所だと思うのだが、忙しいツアーだと抜け落ちてしまうことが多い。
この内部だけでもいくつも見所があるけれど、ご紹介は別の機会に。

18:00
旧市街のど真ん中、コムーネ広場が見える場所にあるホテル、ディ・プリオーリにチェックイン。 

部屋に入ると突然広場からにぎやかな祭りの音楽が聞こえてきた。出てみると、中世から行われている旗振りをやっている。こういうのも旧市街の中心にいるから出会える楽しみである。

今日はよくよく歩いたので、ホテルのダイニングでゆっくり夕食。付け合せの野菜には、今日も旬のアスパラガスをいただきます。



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