チヴィタヴェッキア⇒トゥスカーニャ⇒チヴィタ・ディ・バーニョレッジョ⇒オルヴィエート泊へと至る一日。
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天の恵みの様に、穏やかに晴れたチヴィタヴェッキアの朝。
ホテルから二分ほど坂を下りていくと、別荘街の一角、壁の間から海がひらけた。
http://komatsusin.hopto.org/koma/modules/myalbum/photo.php?lid=1935&cid=39沖合いにはたくさん大きな船が航行している。ここからはサルデーニャ島も近い。
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こんな町に日本人など来ないだろう、と思っていたら、同じホテルに働き盛りの日本人男性が二人逗留していた。
ちらっとお話してみると、この町にある発電所の機械を納入しているHITACHIに所属する方だという。点検で一週間ほど滞在するそうな。そう言えばビジネスマンというより現場技術者という服装。
「日本人殉教者に捧げられた教会、素晴らしいですよね」と水を向けるが、「へぇ、そんなモノがあるのですか」という答えが返ってきた。
小松がこの旅程を組んだのはチヴィタヴェッキアに「日本聖殉教者教会」があり、そこに長谷川路可氏が描いたフレスコ画があるからなのだが・・・関係ないと思えばそんな事は全く関係ない人生というのもある。
しかし、その教会の壁を埋めているフレスコ画は、ひと目見て惹きつけられるものだった。 遠く離れたイタリアにこんな絵が描かれているを見れば、日本人ならきっと何かを感じるのではないだろうか。
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さらに、このローマの外港には1615年に伊達藩が送った外交使節が到着している。よく知られた「少年使節団」から、約三十年後の事である。
その代表であった支倉常長は、堂々たる日本人としてヨーロッパを訪れた初めての人物と言えるだろう。彼は漂流者でも宗教者でもなかった。
街角にひっそりと置かれている彼の銅像も、我々がこの町へ来る目的のひとつであった。
ボルゲーゼ美術館が所蔵し、偶然にも今年上野で見る事が出来た全身肖像画をもとにして製作されているように見える。
http://komatsusin.hopto.org/koma/modules/iDiary/index.php?mode=show&date=20100313足元には彼がメキシコを経由してここまでたどりついたルート図。
そして、伊達藩が建造した「さんふぁんばうてぃすた」号のメダル。
近年石巻港に再建されたこの船も是非訪れてみたい。
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10:25トゥスカーニャの町に到着。
タルクイニアからこの周辺には広大なエトルリア時代の墳墓がある。フィレンツェのある「トスカーナ」という地名も、この町の名前トゥスカーニャも、共にラテン人がエトルリア人を呼んでいた名前に由来する。
墳墓群も興味はあったが、今回は町と教会を主体に行程を組んでいる。
トゥスカーニャで最も印象に残ったのは、町の外にある丘に建つサン・ピエトロ聖堂であった。
8世紀から11世紀にかけてのこのロマネスク、ゴチックのえもいわれぬ迫力と優雅。
http://komatsusin.hopto.org/koma/modules/myalbum/photo.php?lid=1936&cid=39内部に使われたたくさんの古代神殿からの再利用品。
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昼食はアグリツーリズモを予約してもらった。
全室六部屋ながらとても居心地よさそうな民宿である。
特に今日は素晴らしい天気で、藤棚の下にテーブルをセットしてもらう。ごく自然に白ワインとペコリーノチーズとファーべ(えんどう豆の長いものでもともと生でたべるためのもの)がならんでいる。
食事には季節の野菜を是非、とお願いしていたのでこの季節らしい緑鮮やかなアスパラが前菜に登場。素材がすばらしいので普通に茹でるだけでおいしいのだが、オレンジを加えたマヨネーズを添えてだしてくれて、これがさっぱりとしてさらにおいしい。
ホームメイドのキッシュは、アーティチョーク、ラディッキオ(ういきょう)、レーズンに松の実が入っている。
パスタはファルファーレ(蝶のかたち)で、このかたちにうまく絡む大きさにズッキーニを刻み、きのこも入っている。
メインは七面鳥のロール。
足元には犬たち、藤棚の上にはネコちゃん。
遠景にトゥスカーニャの町の城壁や塔が見える。
たっぷり二時間半を楽しんだころ、ぽつぽつと雨が降り出した。
天気の神様もタイミングを心得ていらっしゃる。
バスに乗っている間、雨がフロントグラスをばしばし叩いていたが、ボルセナ湖畔に出る頃には止んでいた。タイミング良い。
トゥスカーニャの近辺を流れるマルタ川がこの湖に流れ込むところにある町がマルタ。丸いイタリア最大の火口湖はしんと静かな黒い湖面を見せていた。
左手にボルセナの村が見える。ここで13世紀にミサの時にパンから血が流れるという奇跡が起こり、その血のついた布がオルビエート大聖堂で最も大切なものとされているのだ。
16:18バーニョレッジョ到着。
ここは町外れのチヴィタへ続く300mの橋を歩く予定。この橋の入り口にある駐車場が小さいので通常のバスでは入って行けないのだが、今回は二十人という事でなんとか通してくれる。
すっかり太陽が戻り、降りて歩き出すと暑いくらいだ。
この崖の上の村は、ひと目見たら忘れられない景観である。
「天空の城ラピュタ」のモデルと言われるのもわかる。
チヴィタの街は現代に人が住むにはあまりに不便なので、二十年前には住民が十人程度になってしまったこともあるそうだ。しかし、また現代ならではでこういう場所であることが観光のポイントになり、だんだんと内部の建物も修復がされているように見えた。
18:55オルビエート到着。
この街も凝灰岩の上の台地に築かれているが、規模はかなり大きく、車も普通に走っている。
旧市街の中に位置するホテルへ入り、夕陽に輝く大聖堂を見に19時から散歩に出た。