ほんとうに奇跡のように。
今日、日本からヨーロッパの目的地へ無事到着したのは、我々の乗ったアリタリア航空だけだった。※正確に言うと、二機のアリタリアがローマとミラノとへ向けて飛び立ったが、ミラノ行きは目的地へ着けず、我々と同じローマへ到着していた。
《手造の旅》イタリア中部小都市めぐり10日、無事に出発です!
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アイスランドの火山が今月14日に噴火して以降、ヨーロッパの飛行機輸送はどんどんストップ。空港閉鎖もロンドン、アムステルダム、パリ、フランクフルト・・・そしてついにアルプスを越えてミラノにまで拡大していた。
18日のニュースではローマ空港も閉鎖されている空港のひとつ挙げられはじめ、参加の方々から「大丈夫ですか?」「こりゃ明日は無理ですね?」とお電話をいただく状況であった。
「ローマ空港閉鎖」という報道はしかし、どうやら間違っている。
空港で到着を待っているガイドさんからも「ローマ空港は閉鎖していません」というメールが送られてきた。
報道というのは、時にけっこういい加減だ。
※後日知ったのだけれど、一時はほんとうに閉まったこともあったとの事。
ただ、いくら空港が開いていても、日本からの便が到着できなければ旅ははじまらない。
小松も、ヨーロッパ便が飛ばなかった場合の事を考えはじめ、「だめだったらインド行きましょ」「アメリカ西部はいかが?」などと、代替ウルトラCをも考えはじめた。
「イタリアへ行けなかったからインドへ行きませんか?」がそう簡単に実現はしないのは分かっております(笑)
※以前、ネパールが土壇場でいけなくなった時に四日間でインド旅行に振り替えた事があるのです。その時も、よくぞ皆さんついてきてくださいました。
夜になり、成田空港から電話がはいった。
「明日朝、飛ばすかどうか最終決断されます。一応空港にきてください。飛ぶ確立はけっこう高いでしょう」
いやいや、ほんとに飛ぶまで安心は出来ない。
成田で無事搭乗できてからも、機内で飛行ルートを注視していた。
※写真はトルコ東部上空を飛んでいる事を表している。一昨年《手造》トルコで近くまで行ったシヴァスの地名が見える。ここは二十世紀初頭の共和国建国時代に国民会議が開催された現代トルコにとって歴史的な場所である。
今日のフライトコースは火山灰の飛散を避けてこんなふうに中央アジアを経由している。フライト時間は+2時間の約14時間。しかし、(このあたりがアリタリアらしいのだが)機内放送では全くその事にふれていなかったのだけれど。
20:45
予定より二時間弱遅れて到着したローマ・フィウミチノ空港は予想通りごったがえしていた。なんせヨーロッパ中の旅行客が足止めされていて、唯一開いているローマへ人が押し寄せているのだから。
ようやく出会えたアシスタントさんに尋ねると、「ターミナルにベッドが並べられた」と言う報道も本当だったそうだ。
いつも以上になかなか出てこない荷物が揃って、お願いしていた二十人乗りの小型バスに乗り、ローマ市内ではなく北の海沿いにあるチヴィタヴェッキアの町に向かう。
暗い高速道路。左は真っ黒な海。空には半月がぽつんと浮かんでいて、よく見ると星も出ている。明日は晴れそうだ。
23時少し前、こぢんまりとしたホテル・ブラマンテに到着した。