ロッテルダムを出発し朝10時過ぎにアントワープ到着。
やたら人が多いと思ったら、今日アントワープでは大規模な自転車レースが行われるのだそうだ。 初春の晴れ渡った青空、実に自転車日和である。
正午にスタート地点となるマルクト広場には柵が張り巡らされ、いつも写真を撮るブラボー噴水の周りに近づけない。 雑踏を大人数で歩くのにイヤフォンガイドがあってよかった。
人ごみをかき分けて大聖堂の入り口に至る。
ここは言わずと知れた「フランダースの犬」に出てくるルーベンスの「十字架降下」を最大の目標に入場する。
今日はルーベンスの作品群に加えて、いつもは置かれていない絵画が柱の一本一本に飾られていた。
入り口隅に特設カウンターが設けられていて「RE・U・NION」=「再び集まる」という展示であると書かれている。
以下、その解説の冒頭の部分を引用
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フランス大革命以前のアントワープ聖母大聖堂には、ギルドや職人の為に作られた祭壇が数十ありました。それらは皆、当時最高級の絵画や彫刻だったのです。
・・・(中略)
フランスの統治下で、それらの美しい作品の数々は聖堂から姿を消しました。極上の作品はパリへ移送され、残りは美術館の別館に保存され、また、多くの作品は売りに出されてしまったのです。
・・・(中略)
祭壇がもともとどのように配置されていたのか、今となっては知る事ができません。祭壇枠と祭壇囲いのほとんどは失われてしまっており、取り戻すすべもありません。
それでも身廊を通って翼廊と聖歌隊席へと歩みを進める訪問者に向けて、教会内部の柱を背にした作品の配置の仕方は、いにしえのありようを反映しています。
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こういう祭壇画・宗教画は、教会という空間に置かれると実に納まりが良い。 美術館という仮死状態・保存状態に置かれていたこれらの絵画たちが、しばし生き返っているようにみえた。
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展示係員がさらに話してくれる。
「フランス占領時代には、この教会の床は一メートルも低くなっていて、そこに馬が放されていたんだ」
ルーベンスの時代に床にたくさんあった墓石と遺体を引き剥がして、そのあとを馬小屋に使ったという事なのだろう。 ナポレオン率いるフランス軍はどこでも教会を壊してまわっていたが、そうか、ここでもやっていたのか。