南フランス、レ・ヴォー近くにあるローマ遺跡=グラヌムの入り口にある記念碑の上部拡大写真である。中に二人の青年の立像があるのが見えるだろうか。
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「家柄より能力」だと、自分自身ははっきり分かっていただろう初代ローマ皇帝=アウグストゥス。しかし、後継者には自分の血を受け継ぐ者をなんとか指名したいと考え続けていたらしい。
彼自身にはひとり娘ユリアだけしかなく、息子はひとりもない。ならば、ということなのか、この娘ユリアの子供たちに希望をかけていたのだ。
ユリアは最初アウグストゥスの姉の息子と結婚したが、死別。二度目の結婚ではアウグストゥスの右腕と言われたアグリッパと結婚。
これはかなりの年の差結婚だっただろうけれど、めでたく男の孫三人に恵まれた。
老齢に達していたアウグストゥスはきっと孫を溺愛。特に上の二人ガイウス・カエサルとルキウス・カエサルに期待していた。※末の孫は「粗暴である」として後継から退けられた。
しかし、歴史は皮肉。
このふたりともが二十歳そこそこで相次いで病死してしまったのである。
おじいちゃん・アウグストゥスはいろいろな神殿や記念碑にこの二人の孫の名前や姿を刻ませている。