きのうと今日はヴェゾン・ラ・ロメーヌVaison la romaineという小さな町に宿泊。ここは日本語の資料がほとんどなく、したがって日本のツアールートからは全く外れている。
しかし、古代から中世まで見るべきものには事欠かない、実に興味深い街であった。※そのうち《手造の旅》でとりあげたい。
ここはその名前からも分かるように、古代ローマ時代にとても栄えた街であるが、共和制ローマに征服される以前、すでにケルト系Voconzi族の首都Vasio Vocontiorumとなっていた。
街には大河ローヌの支流であるウヴェズOuveze川が流れており、ヴェゾンの名前はここからきていると推測される。この両岸を結ぶ石造りの橋は紀元前一世紀ごろに建設されたとされる。
17mの一重アーチでつくられた単純な構造ながら実に美しく、また実に強い。二千年以上の間何度も欄干や上に通る道は流されたけれど、このシンプルなアーチだけはそのまま建ち続けている。
出発前に街の紹介サイトを見ていて、まず最初に目が止まった写真はこの橋であった。
共和制ローマは紀元前124年の執政官フルヴィウス・フラクサスによりほぼ平和裏にこの街をローマの保護領とした。
さらに紀元前58年にかのカエサルが再び確固としたローマの街として遇し、Civitas foederata=忠実な、とでも訳せる名前を与えた。(日本版緑ミシュランと現地の紹介冊子を参考に)
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この街は川を挟んで二つの全く違う表情を持っている。
古い石造りの家がひしめき合う町並みと廃墟の城がそびえる、山側の中世の町。
平地に広がる大規模な劇場まで備えた古代の町。
こちらは完全に遺跡としての町になってしまっている。
後者の遺跡エリアの端にノートルダム・ドゥ・ナザレ教会だけがポツンと現役で生き残っている。
この写真はその後陣の基礎部分。
教会建造によくあるように古代ローマの神殿の石材がたくさん再利用されているのだが、特に基礎の部分には丈夫な柱が解体して並べられていたのである。
1993年の発掘の後、こうしてそれが分かるように公開されている。
神殿のあった場所に初期キリスト教が建てられ、街が異民族に破壊されて廃墟になっていった後にも、細々とでも現代まで教会であり続けてきたと思うと、こここそがヴェゾンという街を語ってくれている場所に思えた。
※この教会についてはまたあらためて書こうと思います。