竹橋の東京国立近代美術館で開催中の「ゴーギャン展」へ
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「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへいくのか」
数年前東海岸への《手造の旅》を催行した時に、ボストン美術館へ行った。そこで予期せずもっとも感銘を受けたのがこのゴーギャンの代表作である。
ボストン美術館の明るい空いた部屋へ入った瞬間に、何か言い知れぬ切実なものが塗りこめられているのが伝わってきて、凝視せずにいられなかった。
まさか、この作品が日本に来るとは思っていなかった。
どうしても見ておきたかった。
開館時間を延長している日の五時前後は比較的空いている。
この大作だけがかけられた部屋は、二重の見学スタイルになっていて、前列→少しずつ移動しながら見る、少し離れた後列→ゆっくり見る、となっている。
これはまぁ、良いアイデアなのかもしれない。大人数がやってくる展覧会では仕方ないだろう。
前列になんども何度も並んで見た。
間近に見る人物の描写や肌の光り(特に中央の女性の太ももの輝きは本物でなければ絶対伝わらない)。指先や足先、子猫の後ろ足、果物を食べる横顔の口元。変な表現だが・・・迫力があるのだ。
二列目で少し離れてみると、はじめは全体にごちゃごちゃした印象も感じられた構図が、ゆっくりほどけていく。
遠景にタヒチの青い海が描かれ、白い波さえ見える。
コラージュのように配置された人物たちだが、ちゃんと全体の構図にうまく配置されている。
そして、左上。
金地の上にフランス語で書かれた「我々はどこからきたのか、我々は何者か、我々はどこへいくのか」という言葉。
これは、神の言葉のようである。
楽園に逃れたゴーギャンだったけれど、結局自分の内にあるキリスト教的な倫理観からは逃れられなかったということだろう。
さらに、最愛の娘の死を知り、自分自身の体の限界が近いことも悟って描かれたこの作品は、まさにゴーギャンの遺書に見える。
この作品を描いてからも数年生きたゴーギャンだったけれど、どうなのだろう・・・抜け殻になってしまわなかっただろうか。