09:00ホテル・ディルホラエイ出発
09:15〜50奇岩の浜辺を散策
広大なスケールの溶岩造形、柱状節理のいろいろなバリエーションが美しい。岸壁にはカモメやパフィンがたくさん巣をつくっていた。カモメの一羽が何か食べているなぁ…と見ていたら、それはまさしくパフィンだった。肉食、でしたねそう言えば。
浜から見えていた巨大な崖の上にバスで移動する。
10:20崖の上に到着
一軒だけぽつんとある灯台には1922年という年号が刻まれていて、燈台守の家族が住んでいる。
その崖は海に直接落ち込んでいく。
目もくらむ高さだけれど、柵はない。アイスランドではどこでもそうなのだが、危険な場所は自分で判断して行動することになっている。柵なんかつけていたらきりがないのだろう。
出されたコーヒーが熱すぎたと言って訴訟に及ぶ国の人には難しい事かもしれないが(笑)。
入り江の対岸に、さらに近づくのが難しいだろう崖が見えている。
よく見ると・・・なんとその上を蟻のように小さな人影が歩いているではないか。
http://komatsusin.hopto.org/koma/modules/xoopsgallery/view_photo.php?xoops_imageid=716&set_albumName=album24&id=derfraie「あそこはとても危ないので、連れて行かないようにしているんだ」とドライバーのヒャルティさん。そう言われると行ってみたい気持ちも沸くけれど、それを自重するぐらいの自制心はある。
11:15〜30スコウガフォスの滝
国道一号線からも見える場所で日本語ガイドブックにも必ず載っている場所。巨大な崖と水量。
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「僕の祖父はスコウガの町の学校の校長だったんだ、胸像もあるんだよ」と、ドライバーガイドをしてもらっているヒャルティさんがいたずらっぽく話してくれた。
「その胸像のおじいさんはあなたに似ているの?」
「そう、メガネかけるとそっくりと言われる」
そんなら是非見てみたい。
行くことにした。
場所は滝からたいして離れていない。
バスは三分で近くに見えていたコンクリートの建物の近くに止まった。夏場、学校がお休みの時にはホテルとしても使っているので、がらんとなどしていない、人もたくさんいる。
ヒャルティさん自身もそこに通ったことがあるという建物は半世紀以上のものだが、そんな古さは感じさせない。中へ入っていくつかの部屋を見せてもらう。
庭の芝生の上にこの胸像がある。
ポケットからメガネを出すと、いたずらっぽく胸像の横にたってポーズをとってくれたが、すぐに照れてやめてしまった。なんとか一枚シャッターを切ることが出来た。ああ、確かに彼のおじいさんだ。
「学校ではとてもとても厳しい祖父だったけれど、家ではとてもとてもやさしくしてくれていたんだ」
子供の頃の祖父母の面影は、彼の胸の底にずっとある。どんな国のどんな民族だろうと、そういう想いは変わらないのだ。
長く生きて、自分自身が誰かに似ている事にはっと気付く。
かつて出合った時のその人の年齢に近づいて初めて気付く。
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スコウガの滝には伝説がある。
昔々、バイキングがお宝を隠したというのだ。
後代になってからそれを探した人があり、なんと発見した!
しかし・・・引き上げようとした時、その箱の取手が取れてしまい、本体は再び滝の中へ・・・手元にはその真鍮(?)の輪が残された。
この取手リングは、この町の教会の扉にとりつけられ、二百年ほどそのままだった。が、教会自体が解体されてしまい現在はスコウガの博物館にあるという・・・。
こんな話をきけば、当然、見たい!
行ってみると、「ああ、これか」と実にあっさり展示されていた。
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スコウガの町の郷土博物館は、ソルダール・トーマソン氏(アイスランド語の人名・地名に関しては完全にカタカナにするのは不可能なので、大体の発音です)という一人の人物が一生をかけてつくりあげたものだと言って良い。
ドライバーのヒャルティさんは我々の為にわざわざ彼を連れてきてくれて、館長自らがガイドしてくださった。
彼の言葉は充分な知識に裏打ちされており(彼自身の歴史を語っているようなものなのだからあたりまえながら)自信に満ちていた。同じ言葉であってもマニュアルを覚えて話している言葉とは全く違って響いてくる。
しかし、言いたいことがたくさんあるせいか、話すスピードは早い。
容赦ない英語でどんどん進んでいく解説を、小松はとても訳しきれていなかった。表情を変えず、次々に言葉を繰り出す彼の気持ちをどの程度伝えられたのか分からないが、とにかくがんばって日本語メンバーに分かる言葉にするしかない。
「トーマソンさん、納得してくれたかな・・・」と、不安に思っていたのだったが、最後、二人になった時、不意に「You doin' good」とポツリと言い。握手とハグをしにきてくれたのだった。
彼は14歳からいろいろなものの収集をはじめたと言っていた。74年前なら、そういう収集が価値あるものだと賛同してくれる人も多くはなかっただろう。「周囲から『変なやつ』と思われていたんだ」、とヒャルティさんが後でちらりと言っていた。
アイスランドが豊かになり、国民が民族の過去を振り返るようになってきた二十年ほど前から、彼のコレクションはやっと注目されるようになった。
1997年にはアイスランド大学のディレクターにも任命され、大統領が勲章を授けるまでに世間から認められた。
結婚もせずに現在を迎えている彼にとって、この博物館は彼の人生そのもの、存在そのものになっている。
まさに、これ以上はないという人に説明してもらった我々、アイスランドに対する敬意を少しは共に共有できるようになった気がする。
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クヴォルスボートゥルのホテルには18時少し前に到着。
歩いてすぐ近くに、昨年出来たという「サガ(伝承民話・歴史)物語の博物館が19時までオープンしており、希望者と参観しにいった。
ホテルにて夕食。
大人数のイタリア人、アメリカ人のグループと一緒になった。