モスクワの英字新聞にこの写真のような記事が載っていた。
《タジキスタンはロシア語を禁止する方向へ動いた》
記事の内容を要約すると・・・
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独立後のタジキスタンでは「国語はタジク語」と定められていたが、ロシア語を選択したい人にはその権利を保障する事が法律で定められていた。
しかし、今回学校の教育、政府の公文書の扱いなどにおいてタジク語で行いロシア語を禁止する法案が通りそうである。
経済の50%をロシアに依存するタジキスタンにとって、これは良い影響を与えない。モスクワからの新たな援助をとるか、政治的独立をとるか、の選択だったといえるだろう。
「将来的にロシア語を話さないタジク人の雇用を、ロシアは制限することになるだろう」とCISのチェアマンは発言した。
タジクとしてはロシア抜きでもやっていける事をアピールしたいのだろう。それは国境を接する中国の影響力が強まる事を意味するし、アフガニスタンなどイスラム勢力への接近にもつながる。
これは「ロシア離れ」の最初の法律ではない。
2007年3月にはタジクのエモマリ・ラッフモン大統領は自分の姓の末尾からスラブ風な「OV」を削除した。※ラフモノフというといかにもスラブ人の様にきこえる。
そして、これから生まれる新生児にスラブ風の名前をつけるのを禁じた。
2007年3月、ウクライナが東部ロシア語系住民の反対にもかかわらず、ロシア語その他外国語での映画上映禁止を法制化した事例もある。
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ロシアがヨーロッパの大国であるのは明らかだが、同時に中央アジアにおいても歴史的にはヨーロッパにおける以上に強力な覇権国家だった。
十八世紀には日本海を渡ったすぐ北の大地までロシア人たちは支配を確立しており、日本に興味を持っていた事実を我々はあまり意識していない。
帝国ロシア時代、ソ連時代、民族の母語だけ話していては公務員にはなれなかった。ロシア語が出来る事が、いわば出世の必須項目だったのである。
共和国ロシアになり、強制的なロシア語教育はされなくなったけれど、20世紀を通じて(それよりずっと以前からも)行われたロシア語優位政策はそう簡単に終わらない。
それぞれの民族が独立を達成した今になっても、経済発展の鍵を握っている言語なのである。