朝8時半、夜行列車はモスクワへ到着。
そのまま一時間ほど郊外へ走りセルギエフ・ポサードへ到着。
ここは14世紀はじめに没落貴族の末裔として生まれた男が隠者として住み始めた場所である。その徳を慕う人々が集まり次第に集落(ポサード)が形成されていった。
この城壁に囲まれた修道院群(「十二の教会建築がある」と修道院ガイドは言っていた)は、1612年にポーランドがモスクワを占領した侵攻にも陥落しなかったとされる。
聖セルギーのご利益であろうか。
彼の遺体はこの写真左の白い教会(トロイツキ=三位一体教会)に安置されており、早朝5時から夜9時までずっとミサが行われている。
ロシア正教にとってきびしかった社会主義の時代でさえも、ここが廃絶されることはなかった。
17世紀後半、
後に大帝と呼ばれることになるピョートルは、義理の姉ソフィアの陰謀によりモスクワから逃れこの修道院にかくまわれたのだそうだ。
後に復位した彼はこの修道院に感謝したとの事・・・
「ピョートルがこの修道院に寄贈したモノは今でも何か見られるのでしょうか?」と修道院のガイドさんに質問した。
ちょっと苦笑いした彼女はこう言った。
「ピョートルがここから持ち出していったものは、今でもたくさんモスクワやペテルブルグにあります」