午前、エルミタージュ美術館へ。
昼食は館内の小さなカフェですませる。
午後、アレクサンドル・ネフスキー寺院(ムソルグスキーやドストイエフスキーの墓がある)とニコライ教会(エカテリーナ二世とポチョムキンが秘密の結婚をしたという)を見学。
それに、本来なら初日に真っ先にみてもらいたかったピョートルの小屋(この写真)を見学。
ニコライ宮殿の民族ショーと夕食の後、夜行列車「グランド・エクスプレス」に乗ってモスクワへ。
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小松がペテルブルグに始めてくる人にまず最初に見てもらいたいと思っているのがこの木造のちいさな小屋である。
1703年5月、スエーデンに対して確固たる意志を示す為に32歳のピョートルは沼地の漁村に町を建設する事を決めた。
ただ「建設しろ」と言ったのではなく、自らが不自由さも厭わずに、率先して移住したのである。上のするところ、すなわち下も従わざるを得ない。
厳しい気候と困難な工事。一万人とも言われる多大な犠牲を出しながらも、強固な皇帝の意志によって着々と工事は進められ、ロシアの首都はついにこの町に遷都された。これがサンクト・ペテルスブルグなのである。
ピョートル大帝はこの小さな小屋に五年も住み続け、町が発展してゆくのを間近に見ていたのだ。
この小屋を見学するのは二度目だったが、丹念に見れば見ただけの発見があるものだ。
ピョートルがこの小屋を離れて後、ここはピョートル自身の命令によって保存されることになった。つまり、三百年前の面影などどこにも見ることの出来なくなった現代のペテルブルグのど真ん中に、創設者自身の記憶を残す場所として運命付けられた建物だと言える。
その死後十五年目の1740年、娘のエリザベータ(一年後女帝となる)により礼拝堂に改装された。
彼女にとっては若き日の父ピョートルと母(かつてただの洗濯女だった)の記憶につながる記念すべき場所だったのだろう。
小屋ははロマノフ王朝の間ずっと礼拝堂であり続けた。
それを終わらせたのはロシア革命。1920年にここは純粋に町の歴史を記憶するべく博物館とされた。
ピョートルが信仰していたイコンは、その生前からずっとかけられていたが、今は別の教会に移されずっと人々の信仰を集めている。