終日ペテルブルグ近郊をめぐる一日。
午前、琥珀の間が有名なツァールスコエセロー(プーシキン市)のエカテリーナ宮殿の見学。
午後、ピョートル夏の宮殿ペテルゴフへ。ここの宮殿ではなく、庭だけをたっぷり見てもらうことが出来た。
17時の水中翼船でペテルブルグへ戻る。
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今回も、もちろんエルミタージュ宮殿は見学した。
いつもの定番コースをまわるなかで、黄金の間に見慣れないガラスケースが置かれているのが目に付いた。
中にぼろぼろになった巨大なロシア海軍旗(セント・アンドリューの十字架)があるのが見えるが、同行していたガイドさんは通常の部屋の説明だけをしてそんなガラスケースは全く無視している。
しかし、どうしても気になったのでグループとはなれ、そのガラスケースの中を確認しにいった。
そこにはこんな日本語で書かれた古い本が展示してあった。
百四年前の日露戦争の海戦についての図入り報告書である。
日清戦争で清国が負けると、朝鮮は一応の独立を得たが、日本を含む列強がその領有を狙っていた。
1904年2月4日、日露の国交断絶がロシア側に通告された。
2月9日、陸海を通じはじめての砲火がこの海戦となった。
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仁川湾に停泊していたロシア艦二隻ヴァリヤーグとコレーツは、港を出たところで多勢の日本海軍に攻撃され、一時間の砲撃により千発以上の着弾を受け大破。
なんとか港まで逃げ戻ったが、敵に利用されるのを嫌い自沈させた。コレーツもまた同様の運命であった。
ここに展示されているぼろぼろになった巨大な旗はその戦艦のものだったのである。
※ネット辞典ウィキペディアでは下記の様に
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%81%E5%B7%9D%E6%B2%96%E6%B5%B7%E6%88%A6この写真一番下には二隻が自沈していく様子が描かれている。
※拡大してみていただくと、その二隻の番号に○印がつけられているのがわかる。
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ガイドする人の資質は、その人が知らないものに出会ったときにこそ試される。
誰にだって知らないものはある。
そんなものに出会ったとき、無視するのは自信のなさの現われである。
知らないことは知らない、分からないことは分からないとはっきり区別した上で、自分なりの解釈を試みる事を常に行わなくていけない。それをしなくなった時ルーティンワークに長けた「ベテランガイド」が出来上がるのだ。