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穴守稲荷
2009-06-23
明日から秋の《手造り北海道》の下見へ行くので羽田に泊まる。

**

京急穴守稲荷駅の近くのホテルだったので、お稲荷さんにも立ち寄ってみた。

人気のない夕暮れの境内に赤い鳥居の連なりが神秘的。かつて通った京都の大学の近くにあった伏見稲荷大社を思い出す。


今は住宅街の中に位置する小さな稲荷だが、もとは現在の羽田空港のターミナルビルの位置にあった。


江戸末期には参拝客や水浴客が訪れる江戸市民のリゾート地になっていたのだが、敗戦の年9月21日に突然アメリカ軍に退去を命じられる。

「48時間以内に退去せよ」
有無を言わさぬ戦勝国の命令に三千人の住民ともども追い出され、現在の場所に遷座したのだそうだ。

この時、移転を免れた唯一のものが、1999年までもともとの場所にあった大鳥居。あの大鳥居を見れば、穴守稲荷がどれだけの規模の社であったのか想像できるだろう。

この鳥居だけは、動かそうとした者にけが人死人が出て「祟り」とされそのままに置かれていた。アメリカ軍が着陸しようとした時、滑走路にたくさんの狐が走っているのを見て着陸できなかったという話もある。

★縁起を読んでみる。
文政年間の頃(西暦1818年)羽田の海を開墾するために造成した堤防を大波が襲い、しばしば穴があいて困っていた。これを鎮めるために「穴を守る」という事で狐の神様「稲荷」を堤防に祭ったところ、それ以後水害は治まり五穀豊穣となった。

なるほど、「穴守」とはそういう意味であったか。


この鳥居の奥には小さいが「奥の宮」があり、そこに置かれた砂は「招福の砂」として皆が持ち帰る。詳しくは下記をお読みください。
http://anamori.jp/yuisho.html#suna



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