今月7日まで佐倉の川村記念美術館で行われていたマーク・ロスコのシーグラム壁画の展覧会。
http://sankei.jp.msn.com/culture/arts/090304/art0903040809000-n1.htm実は成田へ行く途中で寄って見学していたのだが、感想をどう言葉に表現したものか考えていた。
作品との対峙だけでこういった現代表現美を理解できる人は幸いだ。私はまだまだ言語という補助手段が必要に思う俗物である。
今日、思いがけず、展覧会の図録に載せられていた解説記事を読む機会を得て、やっと得心した気がする。
文章による「間接的理解」なのかもしれないが、的確な解説はあってよい。それにまつわるストーリーを知ることは、製作者が同意しようがしまいが理解する為に有効だと思う。
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シーグラム壁画にまつわるストーリーについて、ロスコが契約を破棄するに至るまでの心情が興味深い。
何億円の契約を締結し、すでに大方の製作をしてしまっているにもかかわらず、それを破棄する決断。
そこが飾られるべき空間でないと感じたにしても、契約破棄には相当の迷いがあったはず。
実際、飾られるレストランの予定空間を見てから契約破棄を決断するまでには半年近くが過ぎている。その間いろいろな葛藤があったのだろう。
レストランが空間を変更してくれないか?
自分の作品を変えて対応すべきか?
解説で引用されていたロスコの言葉。
「この仕事を、ただ悪意にみにつきうごかされ、言いがかりをつけるつもりで引き受けた。あの部屋で食事をするろくでなしたちが、ひとりのこらず食欲を失うような絵を描きたい」
この意図が貫徹されていたら、その場所は相当におもしろい場所になっていた事だろう。
しかし、悪意に基づいて大作を残してしまったら、それこそもっと後悔したかもしれないが。
いずれにしてもシーグラム壁画は完成した展示をどこにもされることなく、分割され、世界をさまよっている。
一方、ヒューストンにある完成した「ロスコ・チャペル」を見たくなる。
http://www.kanshin.com/keyword/628645