先日、朝日新聞に載っていた記事に、いろいろな記憶がよみがえる。
記事は、17年前のボスニア紛争で死亡したとされていた赤ちゃんが、実は戦場帰りのセルビア兵の手で孤児院に預けられ生存していたと伝える。
生きていれば人は成長する。
成長すれば誰しも「自分は何者か?」という自問をはじめる。自分の出自がはっきりしている人であっても、なくても。
17歳の彼女は生きていた父親に再会し一緒に住み始めたがうまくいかず、今はサラエボで叔母夫婦と住んでいるそうだ。
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私のであったボスニア人で最も記憶に残っているのは、古い橋スタリ・モストで有名なモスタルでガイドしてくれた写真の彼女。
まだ大学を卒業したばかりだった。
あの紛争の時には小学生ぐらいだったということである。ひとつまちがえば生きてはいなかっただろうし、前出の新聞記事の彼女のようになっていたかもしれない。
同じ小学校に通う同級生の顔見知りの親たちが、小さな町で突然殺しあいをはじめたのである。人々は我々一介の旅行者になど計り知ることの出来ない体験をしてきたはずである。
それでも彼女はとても前向きだった。
「憎みあうことではなく、手を取り合うことでしか前に進めない」と言った。
日々、新聞の記事から受ける世界・特に紛争があった地域の印象というのはどうしても暗く、怖く、陰鬱なものになりやすい。
ボスニアなどはその典型だろう。
しかし、実際に自分がその地を踏み、そこで希望を語る人に出会う体験をすると、それこそが自分にとってのその国の、あかるい実像になる。