●〈ルイ・ド・フランス〉(ルイ十七世)を描いた持ち歩き用肖像画
ルイ十七世はマリー・アントワネットの息子。
革命の嵐の中コンシェルジュリ監獄で少年の頃に死んだとされる。
テレビ番組「迷宮美術館」で紹介していて見てみたいと思っていた一品だった。テレビでは王政復古の時代がやってきて、唯一生き延びたマリー・アントワネットの長女が亡き弟の姿を描かせたと解説していたが、展覧会の説明書きでは「王家がタンプル塔に幽閉される直前に描かれたと思われる」とあった。
ん?それでは年代が合わない。
王家タンプル塔幽閉は1792年である。
ヴィクトワール・ジャコト(1772-1855)作となっているのだが、
計算すると作者は王家がタンプル塔に居た頃には二十歳そこそこ。
そんな若造に王族からの仕事がまわってくる筈はないのである。
会場に置かれた図録を繰って見るとさらに詳しく説明があり、
その一行に「アレクサンドル・クシャルスキーのポートレートが原画とされる」と書かれていた。
これで納得。
ルイ十六世は国外逃亡を図って捕らえられてから立場が一変、
囚人一家としてタンプル塔に幽閉された時にはもうきれいな肖像画など描かれるはずはなかった。
一年経たないうちに父王と母マリーを処刑で失った長女は、昔宮廷画家が描いた弟の肖像を姉はずっと持っていたのだろう。
やがて時代が変わり、1830年二月革命で叔父のルイ・フィリップが王になる。再び貴族としての暮らしが出来るようになり、その時になって亡き弟の似姿をペンダントに移す注文をしたのにちがいない。
この時代なら作者のジャコトも五十才代である。
ほんの5センチほどの縦長楕円形の絵付け磁器ペンダント。
金髪青い目の美しい少年の上半身が王の服装で描かれている。
●〈ローマ王〉のカップ
磁器のカップに描かれたほんの赤ん坊の横顔。
1811年にナポレオンと二番目の妃マリー・ルイーズとの間に待望の息子が生まれたのを記念してつくられた。
つまり、ナポレオン二世だ。この王子の誕生をナポレオンがどれだけ望んでいたのかが分かる。
しかし父の失脚後、彼はウィーンの祖父にひきとられる。
結核にて二十で死去。
ウィーンの宝物館にある象牙の揺り篭と、シェーンブルン宮殿にあるデスマスクを思い出す。
●象牙の聖母子像
1320−40年ごろの作品とされるほんの20センチほどのもの。
ルーブルに常設展示されている同様の作品があり、それと同様のレベルを期待していたが、実際に見てみると今回展示されたものはちょっとそこまで至っていないように感じた。
ルーブルの中世美術セクションの常設展は実にレベルが高い。
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巨大なルーブル美術館の中にあって、一品だけならほとんど目に留められる事もない小品達に意味を持たせ輝きを与えるのが優秀なキュレーター・展覧企画者というもの。
超有名作品があるわけではない。
それでも、いやむしろそれだからこそ成功している展覧会だった。