「プラハの春音楽祭」は、スメタナの命日である今日・5月12日にオープニング・コンサートが開かれる。
チェコへの愛国賛歌「わが祖国」の演奏はチェコ全土に中継され、このコンサートにはチェコ大統領が観覧するのが慣例になっている。
日本にこれだけの待遇を与えられた文化的行事があるだろうか?
日本は音楽や美術を経済や政治と同等に扱っていないのではないか?
写真左上の真ん中、白いひげの人物がクラウス大統領。
ハベル大統領時代に蔵相・首相を務め、社会主義時代の国有会社を国民に分配する「クーポン制度」で評価を高めた人物である。
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朝、日程表ではただの「旧市街観光」になっていた。
しかし、今日は「プラハの春」のオープニングセレモニーが、スメタナの墓前で行われる。
しかもその墓地は「わが祖国」第一楽章の「高き城」であった場所、ヴィシェ・フラードにある。
音楽祭を主眼としたこの旅において、このセレモニーに立ち会うことはとても意味がある事だとツアー参加の皆さんももちろん納得。雨上がりの気持ちよい朝、城跡墓地へ出かけた。
9時半ごろ到着し、ドボルザークの墓を訪れる。今日はいつもしまっている墓の前の柵が開けられ、花が供えられていた。ドボルザークもまた国民的な作曲家である。
10時少し前、スメタナの墓の斜め前にある「スラヴィーン」は、チェコ民族に貢献した栄誉ある人々を記念する場所となっている。パリで成功したミュシャ(チェコ語で「ムハ」)の名前も刻まれている。
この記念碑の壇上にはブラス隊と男声合唱段がすでに陣取っていた。見学の人々はそれほど多くなく、すぐ近くへ行くことができた。
10時。
ブラス隊が演奏し始めた一曲目は、ドボルザークのあの有名な「家路」のメロディーであった。
墓地の狭い道を大きな花輪を持った人々が静かに入ってくる。
私のすぐ横を通り、スメタナの墓前に供えられ、スピーチがはじまる。
これが・・・長かった。
合唱団の指揮者が途中「もう終わるかな」と出てきたのに、苦笑いしてもう一度引っ込んでしまったぐらいに。やっぱりスピーチは短く要点を押さえるべきなのは洋の東西を問いません(笑)。
二十分ほども続いたスピーチの後、合唱隊が歌い始めると空が開けて明るい日差しがさし始めた。どういうわけか鳥もさえずりはじめ、まるでスラブの人々を賛美しているようであった。
午前中いっぱいをつかってこのセレモニーを見て、「わが祖国」という曲がチェコにとってどれだけ重要なものなのかを実感。
今晩のオープニングがとても楽しみである。
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