「我々は皆ゴーゴリの外套から出てきた」
この言葉をインド映画「Name Sake(邦題「その名にちなんで」)の中で聞いていたけれど、それがドストエフスキーによるものだったとは知らなかった。「外套」というのが作品名だということさえも。
ドスエフスキーは十二歳年上のゴーゴリの作品『外套』にヒントを得てはじめての小説を書き始めたのだそうである。ロシアの国民的詩人プーシキンと面識もあったゴーゴリはロシア文学のルーツの一角にあると言えるらしい。
※自分自身はロシア文学には全く詳しくない
ノボデビッチ修道院で四年前ゴーゴリの墓を見つけたときにはさほど感慨はなかったのだが、このインド映画を見てからぐっと興味をひかれているのである。
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「スラム・ドッグ$ミリオネア」は機内で見た。
インドの現実のある部分をしっかり切り取ってみせてくれたうえで、インド映画に求められるファンタジーも充分に織り込まれていてとてもよく出来ている。
しかし、個人的には前出の「Name sake(その名にちなんで)」の方が心に残った。
なぜだろう?
「スラムドッグ・・・」が中心にすえているのは、スラムに生きた個人の夢や欲求なのに比べ、「Name sake(その名にちなんで)」の方は、親が子供に願うより普遍的な気持ちが主題になっているからだと思う。
アメリカに移民したインド人という背景はあるにせよ、そこに画かれているものはいつの時代・どの世界にも共通した主題なのだ。
「Name sake(その名にちなんで)」は、日本でそれほど話題にならなかったように見えるが、必ず一見の価値がある。