オランダはマーストリヒトのマルクト広場にたつこの奇妙な像はなんだろう?もちろん火を噴くサーカスの人じゃぁない。
マーストリヒトには何度も来ているので、きっと前回のガイドさんにも説明してもらっていただろうに…すっかり忘れてしまっている自分。
台座の表記をもとに調べてみると、ジャン・ピエール・ミンケラスという人は「石炭ガス」の発明者であった。 ※彼の名前の表記がこれで良いか自信がない。確かにオランダ人であったとしてよい人物だけれど、フランス語圏で活躍しているしたぶん多くの人からはフランス語名で呼ばれていただろう。外国の人物や地名を日本語でどう呼ぶかの確実なルールもないので。
1748年マーストリヒトに生まれ、16歳でルーベンのカソリック大学に入り神学と哲学を学んだ。卒業後も同地で教授として留まる。たった22歳である。
領土拡張戦争を続けていた覇権国フランスでは、新兵器の気球のアイデアが考えられ始めた時期にあたる。気球の発明者といわれるモンゴルフィエはミンケラスより8歳年上。1783年9月19日にはベルサイユ宮殿において始めて生き物(羊と鶏)を載せた気球が空を飛んだ。※ルイ16世とマリー・アントワネットもこれを見ていたと記録があるそうな。
科学者ミンケラスはフランス北東部でとれる石炭を原料にしたガスを使い、同様の気球を飛ばすことを考え、モンゴルフィエの気球がベルサイユで飛んだ二年後1785年には、ルーベンの町でデモンストレーション・フライトが行われ成功した。※弟子のフォン・フルステンの記録によると、同年に石炭ガスはミンケラス自身の研究室も照らしていたそうである。
1788年大学がブリュッセルに移されミンケラスも移動。フランス革命勃発の前年だ。その後さらに大学がルーベンに戻るタイミングで大学を止め、ブリュッセルに残る。
1794年、56歳になったミンケラスは故郷マーストリヒトで物理と科学の教師として職を得て帰郷。1824年76歳で生まれ故郷に没した。
**
彼が生きた時代はヨーロッパの激動の時代にあたる。
フランスは王制が倒れナポレオンが登場し、オランダは侵略されフランスの傀儡国バタビア共和国からホラント王国へとめまぐるしく変わる。
フランス語圏といって良いブリュッセルには当時たくさんのフランス人達が亡命・避難・難民化してきていたに違いない。ミンケラスがブリュッセルを離れて故郷へ戻ったのは町の雰囲気も治安も悪化していったのが理由ではないだろうか。
***
いろいろしらべてみて、改めてこの写真の像が見たくなった。
そういえば、きっとこの町にあると思われるミンケラスの墓だが、その場所をこんどローカルガイドさんに質問してみよう。困った顔されるかな(笑)。