午前、ハーグとデルフトをまわり、午後アントワープ観光。
ブルージュに至り、泊。
**
ハーグの市内にあるこの1813広場。
細かいようだけれど、これが何の年号なのか気になってしまった。
「1813年ワーテルローの戦いの結果ウィーン会議でオランダ王国として独立した記念碑です」と説明されたが、これは明らかに誤り。ワーテルローの戦いは、1815年にブリュッセル南部で起きたナポレオン百日天下を終焉させた戦いである。
オランダ王国は1813年に独立したのか?
これは違う。どの資料を見ても1815年の独立となっている。
つまりウィーン会議の結果なのである。
この記念碑は1813年に起きた何を記念しているのか?
1813年10月にドレスデン郊外で起きた戦闘でナポレオン軍は敗走し、その結果オランダに対する実効支配は終結。
同年12月に亡命していたオラニエ公が帰国し、フランスに対抗して出来ていた臨時政府が初代の国王として迎えたようである。
しかし、これが国際的に認められていったのは翌1814年5月のパリ条約であり、正式に憲法が発布したのが1815年。あくまで独立は1815年である。
つまり、この記念碑は「ナポレオン支配から実質解放されたオランダに、初代国王になるオラニエ公が帰国したのを記念している」というのが正確なところだろう。
こういうのはこだわらなくて良い「枝葉末節」なのでしょうか?
歴史は細部を見ていかないと、教科書の年号暗記になってしまうようでどうも面白くない。
当時のオランダ国民、特にハーグ市民にとっては、正式独立することになる1815年よりも、「わが君主が帰国!」と喜びを目の当たりにした1813年の方がずっと記憶に残る瞬間だったのではないだろうか。