きのうの日記に書いた教会に関連して。
昨年カッパドキアで出会ったグルジア人の一団が旧岩窟教会から追い出されてきたあとの様子です。
メール通信で送ったものを再録します。
**
カッパドキアの岩の教会、入場を待っていたら管理人が突然怒りだした。先に入っていたグループがなかなか出てこないので様子を見に行き、何か見つけたらしい。フラッシュバシバシたいて写真でも撮っていたか?壁に落書きでもしたのか?
先に居たのはグルジア人のグループだった。管理人がぶんぶん怒って出てきた後に、静かに厳粛な顔で中から続々出てきた。手にはろうそくをもっている。なんと彼らは中でミサをあげていたのである。
続いて中に入ってみると燃え残るろうそくの匂いがした。正面には聖ジョージのフレスコ画。聖ジョージ=「グルジア」の国名の由来となっている聖人である。一瞬そこがかつての教会だった時代にタイムスリップしたような気分になった。
20人ほどのグルジア人たちの団体は管理人に追い出されてからも、真っ黒な服を着た司祭を中心に輪になって祈りの歌をうたっていた。彼らが「遺跡観光のルールをまもらなくてすみません」などと思っていないのは見ていてわかる。
西暦3世紀末、カッパドキアの竜を退治した聖ジョージ。その親戚だった聖女ニノがグルジアへキリスト教を伝えた。グルジアの女王をキリスト教に改宗させ、次いで、盲目になっていた王も「ニノの神」に祈る事で視力を回復。グルジアはキリスト教を国教とすることになる。現在もグルジア王国時代の首都には聖ニノの墓がある。
「グルジアにキリスト教を布教した聖ニノは、カッパドキア出身なんですよ」と教えてくれたのは、祖父の祖父がグルジアから逃れてきたという絨毯屋の社長だった。
この時代はオスマントルコがロシア帝国にじりじりと領土をとられていった時期にあたる。
岩の教会で祈っていたグルジア人と同じように、カッパドキアで成功したこの絨毯屋の社長ギューベンさんも五世代前=百年以上前の自分達のルーツを記憶している。
調べてみるとグルジアの女性に最も多い名前がニノだそうだ。そういえば北京オリンピックでメダルをとったグルジア女性にもニノという名前があった。
そう、グルジア人にとってカッパドキアは観光地などではない。グルジア人たちにとってカッパドキアは、祖国の守護聖人の土地であり、キリスト教を伝道した聖者ニノの住まいである。信仰深いグルジア人にとっては、カッパドキアでミサをあげるのは当然の事だったのだろう。
振り返って我々日本人は?
果たして何割の日本人が百年前のファミリーの出自を語る事ができるだろう?自分達のルーツを軽く見ているという事は、結局自分達の使っている言葉や食伝統さえ軽視する事につながっていくのではないだろうか。