ラオスを代表するタート・ルアン仏塔の前にある十六世紀セッタティラータ王の像。像だけではなく、ここは彼の墓になっている。
頭に「笠」をかぶっているように思っていたが、実はこれはランサン王朝の「王冠」なのだ。ルアン・プラバンの旧王宮を見学していて、展示されていた「王冠」がこの「笠」だったのを見てやっと理解した。
**
彼はヴィエンチャンをラオスの首都に定めた王として日本のガイドブックに書かれている。しかし、著名英語ガイドブック「ロンリー・プラネット」では、その父フォティサラートの時代にすでに遷都されていたと説明されていた。
フォティサラートもまた力のあった王で1520年に即位、1545年にとなりのLan na王朝(チェンマイと思われる)を征服し、息子のセッタティラータを王に任命した。
その五年後1550年。
フォティサラート王は突然死去する。宮廷に集まった各国大使達の前で象を捕らえるパフォーマンスをしていて事故にあったという事だ。
息子のセッタティラータがチェンマイからヴィエンチャンへ入り、両王国の王となった。この時に「エメラレルドの仏像」がヴィエンチャンに持ち込まれたという話もある。14世紀のファーグムの時代と、さて、いったいどちらなのだろう?
セッタティラータ王はヴィエンチャンにたくさんの寺院を建設。
旧市街のワット・パー・ケオは「エメラレルドの仏像」を納めるための寺として建設された。
一方このタート・ルアンはすでにブッダの骨を収めた場所として寺院があったものを、あらたに建築したのである。彼の王宮付きの寺院ということだったので、王宮跡もこのあたりの地下に埋まっているのだろう。
1571年セッタティラータ王はカンボジア遠征中に行方不明となる。
*
ラオスの最盛期といわれるのは
1637年に即位し57年間在位したスリヤ・ヴォンサ王の時代といわれる。通商を求めてやってきたオランダ東インド会社の使者が、その豪華な歓迎式を記録している。
この時オランダ東インド会社が謙譲した金塗りの輿(こし)が、ルアン・プラバンの旧王宮にひっそりと置かれていた。