お父さんがキャプテンで舵を握る。
お母さんが、この写真のように長い竿を持って出入港をサポートする航海士。小さな息子も船内の事をこまこま手伝う。
このクルーズ船はひとつのファミリーが運行していた。
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朝6時10分にホテルを出て托鉢見学。
まだ暗いルアン・プラバンの街を、百人ぐらいの僧侶が一列に歩いてくる。鉢をひとつずつ手に持って、揃いのオレンジの衣を身にまとい、歩いてくる。
町の人々は、朝早くから路上に座ってそれを待っている。
もち米やお菓子など、なんでも鉢に入れていく。
たくさん集まった観光客、数は二百人ぐらいになるだろうか。そういう観光客で托鉢僧に喜捨(という言葉で良いのでしょうか?)してみたい人もいる。彼らを目当てに、僧侶の鉢に入れられるものを売るおばさんたちが出現している。托鉢でさえ、もう充分に観光用のシーンになっているのだ。これからもっと観光客が増えていけば、この托鉢風景も今と同じではいられなくなるのではないか…。
朝7時半にはホテルに戻り朝食。
ひと休みして9時半にホテルをチェックアウトし、旧市街の端にある船着場を目指す。
10時ごろ、この写真のクルーズ船に乗船。
三十人ぐらいはゆったり乗れるだろう。座席は車の座席を木の床に固定したものが並んでいる。思ったよりもずっと広く快適な船だ。
泥色をしたメコン川を二時間ほど遡り鍾乳洞がつくった洞窟を目指す。国王も毎年訪れて黄金の仏を奉納していた場所だそうだ。
12時ごろ洞窟が見えてきて、まずは対岸の村で昼食を先に食べた。
パク・ウー洞窟は上と下の二つの部分に分かれている。
川からすぐに上ある下のタムティン洞窟、ここは今もたくさんの人々が奉納し続けているのだろう、何千体もの仏像に覆われている。
さらに二百段ほど上にあるタムプン洞窟、こちらは19世紀末に中国からの軍隊がほとんどのものを持ち去ったあとのがらんとした雰囲気が感じられる。懐中電灯を借りて奥まで入っていくと、王の墓だという巨大なストゥーパが浮かび上がった。隅の方には焼け焦げた木製の仏像が転がっている。1887年に中国南部から侵攻してきた地方の独立武装組織=いわゆる「黒旗軍」がここに滞在した際、薪のかわりに仏像を燃やしたのだそうだ。
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メコン川沿いの小さな村々は河岸からずっと上がっていったところに位置している。今は乾季だが雨季には五メートル以上水位があがるということだ。