アスワンの古代エジプト貴族の墓を訪れた時、その場所に6,7世紀頃からといわれるキリスト教の教会の廃墟があった。
古代の石造りの墳墓がとても立派なのに比べると、より新しい時代のキリスト教徒の建物も装飾のフレスコ画も簡素であった。
そのフレスコ画を見ていて、ローマで見たモザイクと同じ表現を見つけて不思議な気がした。それは光背の描かれ方である。左はローマの中心部にある小さな教会のアプスより、右はアスワンのナイルを見下ろす砂漠の岸壁にあった廃墟より。
キリストやマリヤ、聖人達の背後に描かれている後光は円形であるのが普通。一方でその作品が描かれた時代に生きていた人の背後に後光が描かれる場合、それは四角に描かれる決まりになっているのだ。
四角い後光を背負っているのは、その教会・修道院の当時の院長だったり司教だったり、はたまた民間人でも高位の人々=たとえば皇帝や王子皇女だったりする。
このような表現は、ルネサンス期以降には全く見られない。私自身は見たことがない。限られた時代の表現だと認識している。
エジプトはイスラム教が入ってくる前にはキリスト教徒の国であった。遠くフランスやイタリアの修道士達がたくさんこの地へやってきて、古代の神殿を教会にして活動していた。
地中海を遥かに超えて、こんな砂漠の崖にローマと同じデザインがあるのを発見すると、はるばるここへやってきた人々が本当に居た事が身近に感じられる。たいして上手ではないその絵画表現ゆえに、その人々の宗教心をより強く感じられる。