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印象的な説教壇の下には
2009-01-29
コプトのHanging Charchの内部全体の様子は下記写真にて。
http://komatsusin.hopto.org/koma/modules/myalbum/photo.php?lid=1020
※ミサ時にだけ正面の木製パネルがひらき、聖職者しか入ることのできない内陣の様子が垣間見える。正教会では今もこの様なスタイルだし、カソリック教会もかつては同じような仕切り板が存在した。男女が左右に分かれて座ってる様子も面白い。

上の写真で左に小さく写っている説教壇がこれである。
製作は十二・三世紀にさかのぼるとされるが、横の十字架と貝でキリストの復活を表したパネルはそれ以前にあったものから再利用された。

「支える13本の小さな柱はキリストと12人の弟子を表し、うち一本ある黒いものがユダで、グレーのものが(キリストの復活を疑った)トマスだ」と説明している本もあったが…あれ?実際に数えてみると15本ある。これだと聖家族三人+十二使途ということになるのだろうか?いずれにしてもそれぞれデザインの違う小さな柱で支えられた形が個性的で美しい。

そして、この祭壇の下には十世紀にコプト教会の危機を奇跡によって救ったアブラハムという総主教が埋葬されているときいた。

イスラムのファーティマ朝に征服され「カイロ」になった時代。時の支配者アル・ムイッズィはコプト教徒を弾圧する目的でアブラハム総主教にいちゃもんをつけた。

「聖書マタイ伝1720節にある言葉『もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、この山に向かって『ここからあそこに移れ』と言えば、移るであろう。このように、あなたがたにできない事は、何もない』という言葉を実際に証明してみせよ。それが出来なければキリスト教徒は皆殺しだ」というのである。

これをどうやって乗り切ったのか、いろいろ調べていくと面白い話がでてくるが…仔細がわかりやすく説明できるようになったらまた書こうとおもいます。



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