これはカイロにあるコプト教会のうちでも最も古い歴史をもつといわれるHanging Chachの入り口。
この入り口のデザインをみて「おお、イスラム的」と多くの人は思うだろう。しかし、こらはイスラム教自体が起こる以前からコプト教会で用いられていたデザインなのである。
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イスラム教が入ってくる前のエジプトというのは、このコプト・キリスト教が最大勢力だった。
コプト教会というのは、古代キリスト教時代の姿を最もよくとどめている一派。歴史的には後発のローマのカソリックにもコンスタンチノープルの正教派にも異端とされ、さらに後発のイスラム教にも弾圧され、つらい迫害の時代を現代に生き延びてきた人々だ。
古代からの慣習を最もよく残し、ギリシャ人の王朝であるプトレマイオス朝以前からのエジプトの言語を今に至るまで伝えていたのは、コプトの言語であった。コプト語が生き残っていたからこそ、シャンポリオンも古代エジプトの象形文字を解読できたのだ。
古代エジプトの遺跡ばかりみても、イスラムのカイロに感銘を受けても、それが現代のカイロとどのように結びついているのかはなかなか理解できない。コプト教会の存在を目の当たりにしてはじめて歴史が連続していることを実感できる。
コプト教会はエジプト史において、重要な要石の役割をになっている。