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音は鳴らしてみるまで分からない
2008-12-30
ホールはお金をかけて有名建築家が設計すればよいものが出来るというわけではない。また、そのホールに適した演奏と適さない演奏がある。

カーネギーホールからリンカーンセンターに本拠を移したNYフィルが2003年に再び本拠をカーネギーに戻そうという話があったが、これはエブリフィッシャーホールの音響が気に入らないというのも理由だったそうである。

エブリフィッシャーホールで演奏するNYフィルにしても、金管楽器がズバッと鳴り響く曲だと良いとする話もある。残響があまりないホールが適した曲目とそうでないものがあるのだろう。

こうなってくるともう相性としか言えない。
しかし、それでもなお、名ホールと呼ばれるものは存在する。

19世紀に出来たカーネギーホールは、1986年に改装されている。昔の雰囲気を取り戻そうとしたこの変更の後音響が悪くなったと言われ原因をさがしたのだそうだ。

結果、それはステージ下の補強のために入れた鉄材をはずす事によって改善された。音響というのはそれほど簡単にかわってしまうものなのだ。
最早ホールの良し悪しを完成前に見極める事など不可能なのかもしれない。鳴らしてみるまで、分からない。

しかし、残されてきた事実を守り続ける事は出来る。

カーネギーホールは1891年チャイコフスキーの指揮によってオープン、翌1892年には「新世界」が初演。1924年、後にこのホールを救うことになるアイザック・スターンが24歳で初演奏。この年からデューク・エリントンは毎年定期演奏会をひらいた。

1971年キャロル・キングが「つづれおり」発表しブレイクしたてのライブを行なった。1998年キューバからのブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブのライブは8年後にやっとCD化。

ざっとひろってみるだけでもこれだけの歴史。
これらは確実にこのホールが愛されてきた事実。

どんな人が企画・設計しても、こうして愛される場所が出来上がるとは限らない。こういう場所を破壊するのを文化の破壊というのだろう。

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