首都ザグレブ、科学美術アカデミーのドアを開けると待っていてくれたかのように、正面にこの碑文が迎えてくれたのが嬉しかった。今回の旅で最も見たかったもののひとつである。
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「バシュカ碑文」は1851年にアドリア海のクルク島にある小さなバシュカ村で発見された。高さ99センチ×幅197センチ×厚さ8センチの石版は、11世紀頃建立と思われる小さな教会の内部仕切り壁にはめ込まれていた。これに司祭が目を留めたのである。
完全に内容が解読されたのは発見から二十年以上経た1875年。
11世紀クロアチアの王ズヴォニミルが、スラブ語で礼拝するキリスト教徒の為に教会を建立する旨を、地元のグレゴール文字を使い書かせていた事が判明した。
※以上「クロアチア」文庫クセジュ
ジョルジュ・カステラン、ガブリエラ・ヴィダン著
千田善、沸口清隆 訳
よりの情報
言葉がそれに即した独自の文字をもてるかどうかは、大変大きな分かれ目である。独自の文字を持ちえる事はその民族のアイデンティティに大きな裏づけを与えるからだ。
現代クロアチア語はラテン文字が利用され、独自の文字はない。もちろん他のヨーロッパ言語でもラテン文字は使用されている。ドイツ語もフランス語もイタリア語も、ラテン文字を使っている。要するに独自の文字を持っているヨーロッパ言語はあまりない。
その中にあって中世のクロアチアが教会典礼用といっても独自の文字を持って彼らの言葉を書き表していた事はとても重要な意味を持っている。クロアチア人の民族意識を歴史的に支えている。だから「バシュカ碑文」を見ておきたかった。
しかし、見たかった一番大きな理由は、この文字の書かれた石版自体が造形的に見て美しいからである。