9時から13時までサラエボの町を歩き、昼食はトルコ風の地元料理チェプチチ。二時間半南へ走りヘルツェゴビナのモスタルへ向かう。
途中はずっと美しい渓谷である。
ナチス侵攻時代、この山がちな地形がチトーのパルチザンの抵抗を助けていたのだ。
モスタル手前40キロほどのヤドロニッツァという町でこの崩落した鉄橋を見学する。
チトー率いるパルチザンが落としたものがずっとそのまま残されている。ユーゴ人たちの抵抗の象徴として、ちかくに博物館も建てられている。
ナチスの手先となりクロアチアとボスニアを支配していたファシスト集団「ウスタシャ」=クロアチア至上。セルビア人至上の「チェトニク」にはソ連や亡命王室がついていた。
チトー率いるパルチザンは支援してくれる外国勢力もなかったが、民族を超えた民衆の支持によって、自らの国を解放し、やがてユーゴスラビアを建国していった。