《手造》ツアー初日、ウィーンで乗り継いで21時過ぎにサラエボへ到着。思ったよりもずっと小さい空港で、ターンテーブルは二つだけ。建物を出るとすぐにバスがまっていてくれた。
旧市街バシチャルシアのど真ん中にあるアストラホテルまでは20分ほど。地図は何度もみていたので、バスがどのあたりを走っているのかは、すぐに把握できた。
暗いせいか、内戦の破壊をそのまま残しているような建物はほとんど目につかない。ただ修復をしている建物は多い。市内いたるところにあるという墓地も時折はっと目につく。
内戦時代の通称スナイパー通りをすぎ、ミリャツカ川に沿っていくと古風な橋が見えてきた。「あ、サラエボ事件の現場だ」と、すぐに分かる。
圧政を行っていたハプスブルグの皇太子フェルディナンドを暗殺したセルビア人プリンツェプは英雄視され、橋の名前も当時は「プリンツェプ橋」となっていたが、現在は「ラティンスキー橋」と改名された。
ガイドブックにはそう載っていたが、運転手さんがホテルに道を訊くため電話しているのを聞いていると「プリンツェプ・モスト・・・」と聞こえてきた。どうやら地元民は旧名で呼んでもいるようだ。
22:30ホテルの部屋にはいった。
このままダウンしてしまうのにはあまりに惜しいロケーションのホテルである。カメラを用意してあらためて歩きに出る。
ホテルのすぐ裏手にはカソリックの教会もある。モスクの尖塔も見える。この混在がサラエボそのものなのだろう。
町並みは、完全にトルコである。