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ルーベンスの父の・・・
2008-10-20
デルフトのプリンセンホフ宮殿は、オランダ独立の立役者初代オラニエ候ウィレムが暗殺された場所として知られている。

そこを訪れると、今でもその時暗殺者が放った銃弾の跡が壁に残っていて生々しい。

その弾痕と共におもしろかったのがこの肖像。
ウィレムは生涯四回結婚した事ををはじめて知ったのだが、これは28歳の二度目の結婚相手であるアンナ・フォン・ザクセン。

ドイツ、ザクセンのルター派と協力関係を強める為に結婚したのだけれど、結局うまくいかず、十年で離婚。その原因は彼女が秘書官との間に子供をもうけてしまった事による。

その秘書官というのが法律家をやっていたヤン・ルーベンス。
この不祥事は死罪にも値するものだったが、妻マリアの努力によりドイツのジーゲンという田舎へ追放されて生き延びる。六年後、その町でうまれたのがペーテル・パウル(ピーター・ポール)。後のフランドルの大画家は十歳までドイツ育ちである。

**

一方、ルーベンスの父との事でウィレムと離婚する事になったアンナは、幽閉され狂気へと陥り三十三歳で死去している。
暗殺された父ウィレムの跡を継いだのは、彼女が生んだマウリッツであった。



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