カプリ島の南側、トラガラ岬から崖に作られた小道を歩いていくと海に突き出した高台に一度見たら忘れない建築が見えてくる。
これを建造させたのはクルツゥオ・マラパルテという作家・ジャーナリスト。1898年にドイツ人の父とイタリア人の母のあいだに生まれたので、ファーストネームはドイツ名ではKurt、イタリア名ではCurzioとなる。ファミリーネーム=ペンネームのマラパルテはナポレオン・ボナパルトの逆をいく。「マラ」=悪い、「パルテ」=方。
第一次大戦では母の国・イタリア人として従軍しアルプス軍団の大尉であった。1920年代にはムッソリーニのファシスト党に入りかなりのナショナリストぶりを発揮していたようだ。
ムッソリーニの全盛期1937〜39年に、カプリ島民の反対をおして建設されたのがこのヴィラ。当初は白い色をしていた。
それが、何ゆえこんな色になったのか?
第二次大戦後、政治思想を激変させイタリア共産党に入党したクルツォは自分の家まで赤く塗ってしまったのだ。四角い家自体がハンマー、屋上に見える弓形のものは鎌。おもしろすぎます。
その後も彼の左志向は続き、1957年に亡くなった際にはこの建物を中華人民共和国に寄付するまでになっていた。
受け取った中国は、その後懸命にもクルツゥオの親族に返還。現在は「ジョルジョ・ロンキ財団」がおかれている。ジョルジョ・ロンキは第二次大戦中フィレンツェの爆撃において、終戦直前の爆撃により13歳で命おおとした彼の甥の名前である。
※ジョルジョ・ロンキの父ヴァスコ・ロンキは「ロンキテスト」の発明者として知られており、マラパルテ荘にもよく滞在していた。