カプリ島、アナカプリの町の小さな広場に突然こんな赤い家が姿をあらわす。いったい誰がこんな家をたてたのだろう。
19世紀後半、カプリ島にやってきたのはヨーロッパ人だけではなかった。アメリカ南軍の大佐扱いだった医師ジョン・マッコーエンは、南北戦争敗戦の年にこの島へ移住した。
同じ名前を持つ彼の父はアイルランド系から新大陸へ移民し、ルイジアナで商売をしていたが、息子は医師になる。南部らしく農場も所有していたからかなりの資産があったことだろう。敗戦後の南部にさっと見切りをつけてヨーロッパへ移住したのは23歳の年。若さもあったかもしれない。
当時の知識階級は、アメリカ人といえども基礎教養としてギリシャ・ローマの歴史や美術を学んでいる。古代からのさまざまな文物があふれるカプリ島に到着したマッコーエン。これらの品々をコレクションし始めたのは当然である。そして集めたものを最も美しく見せられるヴィラを建てる事も当時の自然な流れである。
※同時代にスエーデンから来た医師アクセル・ムンテも、自分のコレクションを使って有名なヴィラ・サン・ミケーレを建造している。
島に到着して十年が過ぎ35歳になった彼は、アナカプリの広場にあったアラゴン時代の古い塔に目をつける。それまでに集めたコレクションを用いて装飾した自分のヴィラを造る事にした。そして最後に外見はポンペイの家のような赤に塗らせたのである。
ジョン・マッコーエンがいつ頃誰と結婚したのかは、ざっとWEB検索をして調べてもわからなかった。しかし、カプリではジュリアという娘が生まれている。彼女は父の死後もこのヴィラに住んだようだ。
カプリの暮らしは楽しかっただろうとおもう。
しかし、齢をとると人間は故郷へかえりたくなるのだろうか?
本当の理由はわからないが、58歳になったジョン・マッコーエンはアメリカに帰国している。
「そして彼は奴隷に殺されたんですよ」
とカプリのガイド氏はさらっと言ったけれど、これもどこを検索してもその真相を教えてくれるページはなかった。