左が1496年に26歳ぐらいのデューラーが製作した「トルコ人の家族」という銅版画(部分)。右が1508年ごろ40代後半のリーメンシュナイダーが製作した現在ローテンブルグ近くのデドヴァンク村にある祭壇彫刻(部分)。
左のデューラーの銅版画を見て、リーメンシュナイダーが右の彫刻の参考にしていたのだ。腕を懐に入れるポーズだけでなく、衣のすその長さバランスや履いている靴。全体の持つ雰囲気に至るまで、似ている。
二人はほぼ同時代人。
デューラーの住むニュルンベルグとリーメンシュナイダーの住むヴュルツブルグは現在同じバイエルン州。すぐ近くではないがきっとお互いの存在は知っていた。
卓越した技を持つ職人同士が相手の存在を知っているというのはある事だろう。が、これほど明確に引用された部分がわかるのはおもしろい。それだけリーメンシュナイダーがデューラーの作品を評価していた事の証である。
もしかしたら手元に何枚かデューラー作品を所蔵していたかもしれないが、それはもう確かめるすべもない。農民戦争後は不遇で死後長く忘れ去られていたリーメンシュナイダーの手記などは全く残ってはいないのだから。一方、デューラーは死後も現在までずっと評価は高い。
紙に描かれた絵や複製が可能な銅版画は移動可能。結果遠く離れた人にも見てもらえるが、彫刻作品というのは基本的にその場所を訪れなくては見てもらえない。
デューラーはリーメンシュナイダーの木彫を見たことがあったのだろうか。
ニュルンベルグには同時代にリーメンシュナイダーに勝るとも劣らないファイト・シュトースという彫刻家もいた。ファイト・シュトースがデューラーを引用したら…出来が良くても悪くてもまわりからいろいろ言われただろう。こうした引用はヴュルツブルグ在住のリーメンシュナイダーだったからしたことなのかもしれない。