この両開き祭壇、よく見ると中央パネルに比べて両翼が長すぎて閉じる事が出来ない。そこに歴史が見えてくる。
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ローテンブルグから二キロほど下ったタウバー川のほとりにあるデドヴァンク村。小さいが歴史はローテンブルグよりも古い。
今回歩いて訪ねることが出来た。ローテンブルグへは数えられないほど来ていても、この村へくるのはたしか三度目だ。
人々がここを訪れる第一の理由はこのリーメンシュナイダー作の祭壇があるからだ。1508年ごろの製作ということだから、ローテンブルグの「聖血祭壇」よりも4年ほど後になる。
この作品はしかし、もとからこの教会にあったものではない。1508年にローテンブルグのミカエル礼拝堂の為に製作されていた。
後年、多分宗教戦争時期に元の礼拝堂がなくなり、1653年にこの教会に移されてきた。
場所を移すにあたりデドヴァンクの教会の場所が狭かった為、中央パネルにあった人物二体(マグダラのマリアと兵士と想像される)と翼を持った天使四人が取り払われた。その分だけ中央パネルが短くなってしまい、両翼との長さがあわないのである。
彫刻はリーメンシュナイダーのものでも、祭壇の箱は簡素でありあわせのものである。もともとは、すばらしく装飾されていた祭壇だった筈だ。現存するオリジナルの状態にあるリーメンシュナイダーの祭壇はどれもがそうであるように。
キリストの腰布は右の部分が折れてしまっている。あるいは近くに置かれた群像彫刻と重なってしまうので、簡素な箱に設置された時意図的に折ってしまったのかもしれない。群像は明らかに十字架から近すぎる場所に位置してしまい、人々の視線もあらぬ方向へ向いてしまう結果となった。
現在であればこんな変更はとんでもない。
しかし、19世紀までは古い宗教彫刻や絵画はそんなに大事にされていなかった。平気で組み替え、切り離して売られ、塗りなおされていた。
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今回大変面白いと思ったのは、リーメンシュナイダーが明らかにデューラーの作品を見ていたのがわかった事。
中央パネル右のターバンをかぶった人物は、デューラーが1496年ごろ製作した銅版画「トルコ人の家族」と酷似している。10日4日の日記に比較した写真を載せる。