何十回と来ているローテンブルグだが、こんな位置から見上げた事はなかった。タウバー川まで降りていったのである。正確には二キロ離れた川沿いの村デドヴァンクまで歩き、帰りに川沿いの道を歩いた。
位置を変えてみると、ローテンブルグが「オプ・デ・タウバー(タウバー川の上の)」と呼ばれている意味がよくわかる。ほんとうに高い位置に町がそびえて見えてくる。中世の戦争時代ならこちらから攻めようとはちょっと思わないだろう。この部分の城壁が比較的簡素に作られているのもこの立地ゆえか。
ずっと歩いていくと、ホテルの窓から見えていた古そうな二重橋にたどりついた。非常にしっかり作られた石橋である。幅は小さめの馬車なら並んで通過できるほど。窓から見えるこの橋をおしえてくれたホテルスタッフに訊いても、いつごろの建造かは知らなかったが、今、間近に見上げる距離に歩いてきてみて漠然と「18世紀以降かなぁ」と推察した。
日本語版のローテンブルグ解説本を持っていたの思い出し、橋の上でめくってみる。すると、巻末のところにほんの数行だがこの橋に言及している部分が見つかった。「1330年頃の建設となるドッペル・ブリュッケ(二重橋)は、その後町防御施設の一端として、より堅固に補強工事がなされた 」
なんと、今足の下のにある橋はすでに1300年代14世紀に建造されはじめていた。
ローテンブルグが最も隆盛を極めた時代である。補強工事を行ったのも17世紀前半宗教戦争以降ではないだろう。自分の推察のいいかげんさに苦笑いである。
今まで「14世紀あたりがローテンブルグの最盛期」と資料に書かれていても、それは漠然に理解していただけだった。この橋を目にして、はじめて14世紀にローテンブルグが持っていた経済力・社会的地位を実感した。時に信じられないほど増水する川の流れにもびくともしない、街道を支える橋。道こそが物流の要である事を中世貿易都市のひとびとも充分認識していたという証である。