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ヨーロッパ・ピクニック計画
2008-09-03
「ふう〜ん、そうだったのかあ」
と、一人ビデオの前で納得の声を出してしまった。
1993年頃に放送された「ヨーロッパ・ピクニック計画〜こうしてベルリンの壁は崩壊した」を発見。ダビングするだけのつもりが、ついつい1時間半の番組を全部見る事に・・・。
1989年の5月にハンガリーがオーストリアの国境にある鉄条網を切断したことにはじまり、11月9日にベルリンの壁が突然存在する意味をなくするに至る経緯をはっきりと理解させてくれる。
これを録画してみていた当時は、東西の往来が可能になったとはいえ、ハンガリーやチェコ(当時はチェコスロバキア)に行くにはまだVISAが必要で、日本の観光客もあまりきていない時代だった。
実際私もハンガリーとオーストリアの国境で通過の為に何時間も行列した経験がある。
いまからおもえば社会主義時代最後の最後、1989年の10月に私はちょうどウィーンも訪れていた。その時ガイドしてくれた人が、簡単にとなりのハンガリーで今起きていることを話してくれたあと、本気でソ連の戦車のハンガリー侵攻を心配していた事を思いだす。
「…それで、今ワルシャワ条約機構の面々が今モスクワに集まって、裏切りものハンガリーをどうしてやろうか相談しているんですよ…」
そのガイドさんの説明しただろう他の名所旧跡の案内はまったく忘れてしまった。それなのに、その「心配」だけを20年間忘れられずにいた。
その時は、その「心配」の意味がわからず、ぼおっと聞いていただけだったが、二十年後の今日VHSで発掘した番組を見直して、霧が晴れたようにあの時すぐ近くにいながら私が見えていなかった世界の動きを理解する事ができた。
我々がウィーンの宮殿をのんびり観光していたときに、同じドナウ川でむすばれたブダペストでは何千人という東ドイツ人が脱出の機会を待ちながら息を殺していたのである。
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