緑の草原にぽつんと現れるゲルは、その風景を何倍も美しくみせてくれる。
しかし、そうやって遊牧の暮らしをしていられる時代も都市部では終りが近づいているのかもしれない。
自分達の家畜がうろうろするエリアをすべて自分達の土地にする=所有するというのは現実的ではない。土地は、自然は、誰の占有にも属さない自然の賜物である筈だ。
ウランバートルを見下ろす丘からは、自分の土地をこんな風に囲って住んでいる様がよく分かる。自分の土地を囲いその中で昔ながらのゲルに住んでいるのだ。
モンゴル語では「ゲル」という単語は=「家」をあらわす。つまり、ゲル以外の家の形式はなかったのだろう。しかし、現代になって板塀にかこまれた土地に押し込められたゲルはなんとも寂しく見えてくる。
遊牧というのは「土地はみんなのもの=神様のもの」、という感覚の上にこそ成立するのではないか。土地を「所有する」という概念自体がそもそも資本主義のスタートだったのかもしれない。
自然の恵みそのものの草原を区切って「所有する」というのは、どのみちゲル生活には似合わない。