焼きたてのパンを買ってきてくれた、バスアシスタントのアハメッドくん。
自分も食べるのが大好きで、いつも何か買ってきてはバスのいちばん前のもの入れに備えてある。我々の快適さのために、一日何度も窓を掃除して、バスをきれいに保ってくれている。
いったい何歳なのか?分からない。
貧しい家の出なのか?ガイドさんも運転手さんも彼のことはあまり話してくれないのだが、何日か経つうちに彼も時代の中でけっこうつらい目にあってきた事がわかってきた。
最初我々には「アハメッド」と紹介されたが、ガイドさんや運転手さんは「ヨルゴ!」と呼んでいる。
「ヨルゴってギリシャでよくあるゲオルグという名前ですよね?なんで彼をそんな風に呼ぶんですか?」
「彼はもともとブルガリアから来たんですよ。バルカンの出身だからヨルゴってあだ名をつけて呼んでるんです」
ヨルゴは小さい時にブルガリアから強制送還されてきたトルコ人家族の中にいた。80年代にブルガリアのジフコフ社会主義政権はトルコ人を有無を言わさず強制送還させていた事実が実際にある。
何世代にもわたってオスマントルコだったブルガリアなのだ。20世紀も終わりにはトルコ語よりもブルガリア語で育った世代のトルコ人なのである。ブルガリアを祖国として生きていたのだ。
そんな彼らの家に、ある日軍隊がやってきて、トルコへ立ち退くように求めた。父親は当然拒否した。すると撃たれ、死んだ。残った母親と幼い姉弟は列車に乗せられてトルコ領にほおりだされた。「ヨルゴ」はそんな彼につけられた「あだ名」だったのである。