午前、ロンドン観光。
しばらくぶりにくるとどっと観光客が増えているのがよく分かる。
午後、18世紀の建築家ジョン・ソーンの邸宅=美術館へ。
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誰の言葉か忘れたが「ロンドンに飽きたら人生に飽きたと思え」と言うのだそうだ。まだロンドンのほんの少ししか見てきてはいない自分だが、ジョン・ソーンという建築家の邸宅博物館へ行ってみて、確かにそうかもしれないと思った。
ピカデリーから歩いても行くことのできるリンカーン・フィールドという広場に面してその邸宅がある。こんなロンドンのど真ん中に、これほどの巨木が茂る静かで大きな広場があるのは意外である。ロンドンの懐の深さといったところかもしれない。
ジョン・ソーンは18世紀から19世紀はじめにかけて、つまりヨーロッパがナポレオンにかき回されていた時代に生きた。イングランド銀行の巨大なネオクラシック建築を手がけ、サーの称号を持ち、その時代の富も名声をも得ていた人である。
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邸宅は趣味の良いからくり屋敷だった。
広場に面した階段を上がると教室ほどの応接間になる。ここは割合普通の客間なのだが、そこから一歩奥へ踏み込むと古代から現代に至るまでのいろいろな収集物が所狭しと並べられている。それは実に19世紀の知識人的コレクションに見える。
細い階段を下りて地下まで降りていく。そこには地上階以上にいろいろなものが詰まっている。箱の中に本物の人体骨格が入っていて驚かされたりもする。これは友人の医師から譲られてきたものだ。
地下だからといって真っ暗なわけではなく、そこここに吹き抜けの天井がもうけてあり、自然光が入ってくるので展示物をちゃんと見ることができる。
最大の見ものは古代エジプト王セティ一世のアラバスター製石棺だろう。カイロ博物館にあっても結構大事にされそうな逸品である。
サーカスの大男だったイタリア人ベルツォーニが古代エジプトの発掘者(いや当時ならば宝探しというほうが適切だろう)に転身し、1817年に発見した。
19世紀まで発掘物というのは研究対象というよりも、高く売りつけることのできるお宝であった。ベルツォーニはこの一級の発見物を大英博物館に四千ポンドで売りつけようとしたが断られる。そこへ言い値で買い取ったのがジョン・ソーンであった。
この石棺がこの屋敷にやってきたときには三晩も続く大パーティを開いたそうだが、今は吹き抜けの天井から落ちてくる光の底でひっそり地下に横たわっている。
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地下階にどのぐらいいただろうか。
何人もの人々が入ってきて去っていった。数え切れない石造の破片や彫像にかこまれぽつんと立っていると、時代の役目を終えてばらばらになってしまった石片たちが、だんだんとその意味を語り始める。
そんな中でふとジョン・ソーン自身の言葉が壁の隅に刻まれているのが目に付いた。それは37歳で亡くなった長男への追悼碑だった。
ほかの部屋を回っている時、彼の二人の息子の肖像もあった。解説をよく読んでいくとジョン・ソーンの内側が少し見えてきた。父親の希望とは違い、建築などにはまったく興味を示さない息子達にはがっかりしていたのだそうだ。妻に先立たれ、息子達にはたぶん「へんくつ親父」あつかいされ(たんじゃないか?)、たったひとりで自分のコレクションの詰まった邸宅に住んで晩年。
社会的にどんなに成功している人でも、父親として、母親として有能であるとは限らない。また、有能であったとしても、子供たちが親の期待通りに育ってくれることなど、どこの世界でもそうはない。
もっともシンプルで難しいのが幸せにいきていると自分で納得できる事なのだろう。富も名声もその為に役に立つとは限らないらしい。
ジョン・ソーンは自分が集めた事物に囲まれ、たったひとりでこの屋敷に暮らして幸せだったのだろうか。自分の設計した建築は自分の死後も残り続け亡き後の名声も保障されていただろう。幸せだと思おうとすれば、充分に幸せであったはずである。